コーヒーを運んでゆくと、これにも男の方が礼を言った。最初思ったよりも若かった。三十を越えたばかりだろうか。きりりと清潔な感じは、男というより青年と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。
女の服を乾かしていると知らせた。
「四十分くらいで乾くと思います」
「ご迷惑をおかけします。名刺を切らしてしまって――。市村と言います」
世話になる以上、名乗らなくてはなるまいというように、彼は姓を明かした。耀子がどういう理由からか、チラリと非難めいた一瞥を彼に投げかけた。
コーヒーに出した男の右手首にハンカチーフが巻かれ、血がにじんでいた。
「包帯がありますわ」
薔子はテーブルの救急箱を引き寄せたが、彼は大丈夫だと言って使わなかった。耀子がぼんやりしている分、市村はなるたけ迷惑をかけまいとするようだったが、ソファの隣に電話台があるのを見て、
「すみませんが、電話を拝借できますか? 連絡を入れたいところがあるのですが」薔子は救急箱を持って立ち上がりながら、「どうぞ」。
市村は手帳で番号を調べ、出た相手に、そちらに泊まっている川田洋二を頼むと言った。ホテルか旅館なのだろう。相手が出ると、俺だ、と言い、悪いが明日のゴルフにはいけなくなったと断っていた。多少咎められでもしたのか、
「いや、天気のせいじゃないよ。……ウム、まあ、そんなところだ。こき使われるばかり
でね」
現状を窺わせぬ平静さだった。
市村が受話器を置くのを待っていたように電話が鳴った。
「立木でございます」
薔子が出ると、
――やっぱりそこか。
須賀の声だった。
――お母さんが、一人で考え事をすると言って出かけたと言ったから。
「こんなところまでなあに?」薔子は小声に非難を込めた。
――行っていいだろう、今から。
「よしてちょうだい、もう寝るところだわ」
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