【前回記事を読む】「少し休ませていただけませんか。」雨で濡れた女性に脱衣所を貸した。着替えを渡しに行くと、豊満な身体が——
第一章 見知らぬ人のままで
男が車を出てくる前に窓を離れて浴室に戻った。女は薔子の妹のネグリジェと彼女のバスローブに着替え終り、座り込んで泣いていた。うつろながら他人の物をちゃっかり着込んで泣いている状況に、ちょっとした滑稽感があった。
髪をタオルで巻いて立たせると、素直に薔子に従った。廊下から、男がバスタオルで服の上から体を拭っているのが上がり框に見えた。
「ここ、お風呂場ですからお使い下さい。何か着替えをお出しします」
こちらの方もそうしてやらなければならないだろうと、薔子は父親の浴衣か何か考えたが、
「いや、着替えはあります」
失礼、と男はボストンバッグを持って上がってきた。脚を傷めたらしく、わずかに右脚を引きずっていた。
「お湯が出ますわ」
すれちがうとき、薔子が言うと、ありがとう、と彼は浴室に入った。迷惑をかけておきながら、悪びれたふうでもなかった。女の様子を気遣うでもない。
ソファーに掛けさせて改めて女を見ると、美しかった。どこかで見た顔だと思いながら救急箱を持ってきて、血のにじんだ額を消毒し、ばんそうこうを貼った。腫れていたが、切ったのは二センチほどだった。雨が、彼らの様子を凄惨に見せたのだろう。それと、この人の怯え方。
「ありがとう、どうも、すみません」
傷の手当をしてもらって、女は薔子と目を合わせるでもなく、ようやく礼らしきものを口にした。その甘えを含んだ細い声に、薔子は彼女が誰であるかに気づいた。桐野耀子、結構名の売れた女優だった。もっぱら娘役だったが、薔子よりいくつか年上のはずだ。