【前回記事を読む】毎日学校から帰ると、皿の上に大きなおにぎりが1つ。横に1枚の紙片が置かれ、母の筆跡で「食べ終わったら、畑まで来い」

第1章 苦難の少年時代

はかなく消えた夢

悲劇は父の一言から始まった。日頃から高校への進学は反対されるという事を芳正の言動からそれとなく感じ取ってはいたが、進学の希望を学校に申告する日も迫っていたので、一郎は意を決して芳正に切り出した。

「家の手伝いも今以上に頑張るから、農学校に行かせてください。お願いします!」

懸命に頼み込む一郎に、芳正はたった一言伝えた。

「百姓に学問はいらない。技術の習得はどこにいてもできる」

谷川家では父親の指示は絶対であり、子供の意見など聞き入れてくれるような理解のある家ではなかった。一郎の夢は、この一言によってはかなく消えてしまった。

それから数日が過ぎた早春の夕暮れ、傷心の一郎は悲しみをこらえて利根川の堤の上に立った。とめどなく溢れる涙をこらえ、この先どうしたらよいのか途方に暮れる一郎。

眼下を見渡せば、そこは谷川家のご先祖達が切り開いて来た沃野が広がっている。この大地で生きる事に誇りさえ感じていたのだが、祈るような思いで願い出た希望を瞬時に拒絶された一郎の心は、深い悲しみの底へと沈んでいった。

何という事だ。これからも近在の農家と同じように、米と麦だけを作る、古い形の農業をやって行けというのか。それが悪いなどと言うつもりはないが、新しい時代に沿った形の農業を目指してなぜ悪いのか。経営を破綻させるような農業を目指しているわけではない。

近年、農村の若い者が無謀な経営をして家を破滅させ、その挙句、農地まで手放し、都会に出て行ってしまうというような話も何度か聞いたことがあるが、自分はそんないい加減な事を考えているわけではない。どうして自分の息子が、そんなに信用できないのだ。

やり直しの利かない一度だけの人生を、思い切り生きてみたいと思っているだけなのに。それに、谷川の家に嫁いで今日まで何の楽しみもなく、毎日奴隷のように働きづめの母を助けてあげたいと思うのは、息子として当然の事であろう。

それがどうして悪いのか、親父殿、納得のいくように説明をしてくれ。一郎は父親から理解してもらえない虚しさが無性に悲しく、無念に思えてならなかった。

進学期も間近に控えて生徒達は多忙の日々を過ごしていた。一郎のクラスでも、大半の生徒達は進むべき道が決まり、その準備に大わらわ。

一郎は進学の夢を断たれ、絶望の淵を彷徨いながら、奴隷のように働き続ける母を助ける事もできない自分が無性に情けなく、希望の高校に合格した事を喜び合う同級生達を尻目に傷心の日々を過ごしていた。