京◯大学出身で定年間際のこの男、本来ならそのキャリアで本社の財務部長か役員に就いてしかるべき人材なのだろうが、いつも会社には麻雀の面子集めにきているようで、出世とは無縁に今の職位に甘んじているらしい。

傍にいた課長も「まったく気楽なもんやで、羽島君はあんななったら、あかんで」と苦笑していた。

営業社員の仕事は与えられた担当代理店の教育育成と聞こえはよいが、実のところはほとんど代理店の雑用係のようなものであった。

代理店はほとんどが兼業で業種は車の整備工場や自動車販売会社、不動産会社、銀行やオリラジファイナンスなどの金融関係と多岐にわたった。後に裕三の進路を決定づけることとなる税理士事務所は数ある代理店のなかでは専門職という数少ない異質な存在であった。

ゼロ金利政策下の今とは隔世の感があるが、当時は市場金利が七%超もあり銀行はじめ各金融機関は挙って高金利の金融商品の販売に躍起になっており、ご多分にもれず裕三の保険会社でも七月と十二月のボーナス時期にはキャンペーンをはって鼻息荒く販売商戦に熱を入れて注力していた。

隔日行われる営業会議ではもっぱら積立型金融商品の販売状況すなわち予算達成への進捗状況に終始し、劣等生の裕三は毎回叱責をうけ尻を叩かれていた。

もっとも課長職はじめ管理職は、今では金融庁の監督下で厳しいであろうが、その当時横行していた悪しき習慣であるバーター契約に悲鳴をあげていた。

新規契約をいただくかわりにバーターで提携代理店の商品やサービスに協力するのである。裕三のような新入社員もなけなしのボーナスでスーツを新調しなければならなかったし、マイカー購入ともなれば自家用車まで有力ディーラーで購入しなければならない悪魔のような不文律があった。

生活必需品でない保険契約、ましてや当時は自由化の前のいわゆる護送船団方式によって保険商品や保険料はほぼ横並びであるが故に販売は容易ではなかった。

頼み込むしか術のなかった裕三は夏の暑い中来る日も来る日も重い足を引き摺って、担当する代理店にキャンペーンのお願いに日参するのだが、「キャンペーンなんておたくの会社の勝手な都合だろ」と至極もっともな玄関払いに意気消沈していた。

 

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