その直前の夏、1978年8月には世界108ケ国それぞれで、TMシディーを習得した瞑想者が一箇所に集まった。
上級のTMシディーでは、特にグループで行う場合、影響を放つ効果が遥かに強まるようだった。
我々が目指す次のステップは、ザンビアに向かうことだった。
その使命、すなわち戦火で荒廃する国の争いを止めることは劇的なものに思えるだろうが、現地での生活は穏やかなものだった。ルサカに到着すると、現地では最上の宿泊施設であるアンドリューズ・モーテルに居を定め、それから6週間は基本的にそこを離れなかった。
我々は早い段階で地方政府の役人を訪ねてザンビアでの我々の目的を告げたが、紛争に関係している人物には一人も会わなかった、というより、人にはほとんど会わなかった。我々の一日は、長いグループ瞑想、その間の食事、一日3回のミーティングがすべてだった。我々には話し合いや説得でザンビアの状況を変えようという意図はなかったのだ。
注力したのは、ただ集まって瞑想し、目に見えない調和と平和の影響力を放つことだった。これは経験上、有効だと分かっていた。そして今回もそれが有効なようだった。新聞を読み、ラジオを聞く限りは、一夜にしてザンビアに平和が戻ったことがうかがえた。
爆撃は我々が到着した翌日には止まり、6週間の滞在期間中、深刻な武力衝突の報道が一件もなかった。プロジェクト成功の最も強力なしるしは、ザンビア入りから1ヶ月後に起こった。
我々はその頃にはザンビアを発つ予定だったが、政府の役人二人がアンドリューズ・モーテルを別々に訪れ、我々に留まるよう求めたのだ。ルサカ地方書記(知事に相当)と地方大臣(上院議員に相当)は二人とも、我々が来る前の月はザンビアの独立以来最悪の時期だったが、その後はっきり好転したと語った。
当時、何年間も行われていなかった国政選挙が予定されていたが、他の発展途上国の国々と同じく、ザンビアも選挙当日は動乱に見舞われるのが常だった。選挙前から新聞は暴力を予想する派手な特集を組んでいた。地方書記と大臣は我々に、最低でもあと2週間、選挙が終わるまでの滞在を要請した。
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