【前回の記事を読む】目が見えなくなった今だからこそ聞こえる音がある。気づけば秘曲の響きは以前とは別物になっていた――

第一章 創生の人々

二 五徳の冠者

大懺法院(だいせんぼういん)に、立派な僧衣に威儀を正した高僧が訪れた。

故少納言入道信西(しょうなごんにゅうどうしんぜい)の孫、聖覚である。

『平治の乱』で非業の死を遂げた信西の息子達は出家してそれぞれ名刹(めいさつ)で重い職に就いていた。

聖覚は安居院(あぐい)に居を構え、仏典に節をつけて人々に聞かせる唱道(しょうどう)の大家となっていた。

「これはこれは。聖覚殿直々(じきじき)に、いかがされたのかな」

「慈円様。白河の大懺法院(だいせんぼういん)を、後鳥羽院様にお譲(ゆず)りになられたとか」

「いかにも。後鳥羽院様のご所望(しょもう)であったのでな。

今は最勝四天王院(さいしょうしてんのういん)となっているとか。

私はそのかわり、より人々の集まるここ、祇園(ぎおん)近くの吉水(よしみず)に新しい大懺法院(だいせんぼういん)を作ったのだ。

少々騒々しいが、ここならば無学な人々も訪れて、御仏(みほとけ)と縁を結ぶことができる。

わたしは、かえってよかった、と思っているのだよ」

「その白河の最勝四天王院が今、どんな風になっているか、ご存じありませんか」

「さあ。

藤原定家公の話によると、すべての障子に日本全国の歌枕の絵を描き、漢詩や和歌の色紙を貼って、居ながらにして日本全国を眺められる、素晴らしい趣向のお寺になったと聞いているが」

「それです」

「それが、どうしたのか」

「日本全国の障子絵と歌が並んでいる最勝四天王院に後鳥羽院様が御幸(ごこう)されるたび、付き従っている院近臣(いんのきんしん)がささやくのだそうです。

これこそ日本の美しい国土。世が世なら、この日本の国をすべて治められていらっしゃるのが後鳥羽院様なのです。

それが武者どものせいで、今や国々には守護や地頭が置かれ、この国は、後鳥羽院様のものでありながら、後鳥羽院様の御意のままにならない。

なんと嘆かわしいことか」