初めての子育てはわからないことだらけだった。子どものころも身近に赤ちゃんはおらず、自分の子が初めて赤ちゃんを抱く体験である。育児書に書いてあるすべてを試してみてもケイは泣き止まない。由香里は握りこぶしで壁を強くたたきながら、「なんで! なんでなの!」と自分まで泣き叫んでしまう。
あるとき、気が変になりそうで、ケイを抱いて母屋へ駆け込んだ。二人の女性は温かく迎え入れてくれた。これが不幸の始まりだった。
母親役をすっかり二人に奪われてしまったのだ。長女の子ども二人は下手に手を出すと娘から激しい抗議がある。由香里は、「嫁」という立場ゆえに遠慮があり、嫌なことをはっきり嫌とはいえない。押しの強い熟年女性二人のやりたい放題である。
息子の副院長は「あの二人、ちょっとやり過ぎじゃないか? しょうがないなぁ」と苦笑するだけで、母親と叔母に意見することはなかった。生後八カ月で母乳からミルクに切り替えたのを機に、ケイは完全に「母屋の子」になってしまった。
朝、連れていき、夕飯後に戻ってくるまで、ケイは二人の着せ替え人形であり、愛玩物であり、公園にお散歩に行けば「まあ、なんてかわいらしい!」とほめられる自慢の種であった。
ケイが熱を出したり下痢をしても、二人は由香里には知らせず、病院に連れていった。「私も母屋で一緒に過ごせばよかったんでしょうが、なんとなく二人に苦手意識があって……」と由香里は回想した。ケイがゆっくり本当の両親の元にいるのは医院が休みの日だけだった。
由香里が昼間飲むようになったきっかけは、姑とその妹が月二回程度連れていってくれる豪華ランチであった。
このときは姑がベビーシッターを頼んでくれた。豪華な食事を楽しみながら、ランチワインを飲む。由香里にとって、昼間、お酒を飲む初めての体験だった。
「へえ、昼間も飲んでいいんだ、って思って。それから家でも主人のウイスキーに手を出すようになりました」。
朝、ケイが連れていかれてから飲み始める。最初の半年ほどは午後二時か三時には切り上げて、一眠りしたあと、シャワーを浴びて酔いを醒まし、買い物に出て、夕食を作っていた。だが、だんだんと切り上げる時間が遅くなっていった。
酔っては泣いていたという。「ケイ、私のかわいいケイ……」「お母さん、なんで死んじゃったの。お母さんがいたらケイを連れてそっちへ逃げていくのに……」。
次回更新は3月20日(金)、21時の予定です。
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