【前回の記事を読む】娘がしっかり者なのは、「いつも酔っている母のせい」…まだ小学生なのに、夕食は自分で作り、自分の事は自分でするように…
人生を失い、それでも女は這い上がれるか
治美
だが、治美の断酒は一直線ではなかった。アル中患者が再飲酒してしまうことを「スリップ」と呼ぶ。そこからまた「底をつく」まで飲んでしまう人もいるが、ちょっとだけ飲んで再び断酒する場合もあり、これは「プチスリップ」と呼ばれた。治美はプチスリップを何度も繰り返した。電話したときの口調でわかる。
「今日、飲んだね?」、鋭く察して恵子は聞く。「でへへ、作品が仕上がってね、ごほうびに缶ビール一本飲んじゃった」。治美は正直に答える。
「そこでやめときなよ」。恵子が優しい口調でいう。
「は~い、そうしま~す」。治美はおどけた口調だが、実際、自分でもアル中に後戻りしてはいけないと思っているのがわかる。
プチスリップを時々しながら、だんだんとそれがなくなり、まったく飲まなくなる人もいる。治美もそうだった。通っているAAでは、プチスリップも正直に告白する。
そして、体験者から助言を得るのである。たとえば、「飲みたくなったら散歩に出る」という人もいるし、千里浜まで行って初心を思い出すという人もいる。音楽を聴く、お酒ではない炭酸飲料を飲む、誰かに会っておしゃべりをしてまぎらわす、などなど人さまざまである。
治美は、飲んでしまったとき、恵子に電話してくるようだ。二人には「子どもへの思い」という共通項がある。アル中だった期間、子どもにどれほど辛い体験をさせてしまったか。この痛切な反省が断酒の原動力だ。治美は恵子の、恵子は治美の、声を聞くだけでその気持ちを再確認できるのである。
やがて、治美は、また以前働いていたドラッグストアでパートを始めた。週三日、午前中。店長は変わっていた。が、仕事に対して厳しいのは同じだった。治美は、「同じ職場で仕事内容も同じだけど、なんとなく前とは違う感じ」だといった。
「前はね、店長の目を気にしていたし、もっと心を込めて仕事していた気がする。いまは『時給分だけしっかりやらせてもらいます』って気持ちかな。
どんなに丁寧に心を込めて仕事しても、店長から見たらパートのおばさんAでしょ。代わりはいくらでもいる。だったら、店長からどう思われたっていい。ノルマだけきちんとこなせばいいや、って割りきれるようになった。だから以前ほどストレスも感じないのよ」
仕事から帰ると、簡単な昼食を済ませて、パッチワークに精を出す日々だという。