【前回の記事を読む】火災報知器を鳴らすいたずらに校長がとった意外な方法とは?…疑わしい生徒を呼び出し、伝えたのは「しんどい」

五 野球バカと野球小僧たちとの出逢い

最初の職員会議に提案された資料を見ると、私はサッカー部の顧問となっていた。が、サッカーなんて学生時代に体育でやった経験しかなくて、とてもじゃないけど教えられないし…黙っていられなくて…併せてT中時代お世話になった長岡純子先生の、

「國頭先生、野球部を持ちたいなら自分から言わなきゃダメよ」

という後押しもあり、

「私は野球部の顧問をしたいです」と意見を述べた。

すると、野球部の顧問だった臨時教諭のA先生が、

「では、自分がサッカー部の顧問に代わります」

と譲ってくださった。自分の希望が通ったのはいいけれど、

「それだけのことをしなかったら(結果を残さなかったら)、責任をとるしかないな」

とは思っていた。

グラウンドを見てみる。野球部員はどこにいる?

サッカー部がボールを蹴って遊んでいる(?)様子、テニス部がボールを打っている姿以外は見えないのだ。

あ、やっと野球部員らしい人影を見つけた。部室の前で練習着を着た生徒が数人、走るでもなくバットを振るでもなく、座ってしゃべって遊んでいる。

「ダメだ、こりゃ」

振り返ってみると千葉市立の中学校(一九八六年四月~一九九一年三月)以来十九年間野球部の顧問を務めてきたが、その中学校以外は“ほったらかされた野球部”ばかり担当してきた。

顧問がいなかったのか、いたけど何も指導してこなかった(指導できなかった?)のか、そんな野球部の共通点は…まず“挨拶をしない”、そして“グラウンド整備をしない”、“道具を大切にしない”こんなありさまであった。当然のことながら大会に出場しても勝てるはずがない。

福山市に戻って最初に所属した中学校・転任した中学校に続いて、

「ここでも一から教えなくてはならないのか…」

しかし、手つかずの野球部だからこそ逆に自分が好きなようにやれる楽しみはある。

きちんと指導された野球部を引き継ぐ難しさも経験済みである。初めて野球部顧問になった千葉市立のT中学校野球部は前顧問が厳しく指導されていたので、

野球をよく知っているだけでなくきちんとしたマナーと「勝てる野球部」という評判も定着していた。

私としても、前顧問のやり方と百八十度変えることはできなかったけれど私オリジナルのことをやろうとしたら…生徒や保護者から前顧問と比較し、

「何、あの先生!」

とひどいバッシングを受けた経験もある。

このチームは、千葉市の総合体育大会では優勝し県大会ではベスト4になるなど、優秀な成績を収めたが、前顧問の影を引きずり“私のチーム”ではなかったのだ。

自分のカラーに染め変えるには、あと二年ほどの時間を要した…。