【前回の記事を読む】“自分に酔った独り言”がポロっと出た。誰にも聞かれたくなかったが、そこに運悪く…あの部下が来た。
おごそかな挨拶
千葉さんがチラリと時計を見た。
「近藤さんが会議のとき言ったことなのですが……。お姉さんが黒沼さんをガツンとやって、バイク取り上げたって」
「言っていましたね」
「あれ、近藤さんの想像だと思います」
「そうなんですか?」
「近藤さんは糸さんと真面に話したことなんかないと思います。ただ憧れて見ているだけで……。だから自慢で糸さんのこと知っているみたいに言うのです」
「そうですか」
「糸さんは大きな声を出したり、強い言葉を使ったりしない人なのです。もちろん怒ったりしません。糸さんを知らないからあんなオーバーな作り話をするのです」
話を聞きながら新島は黒沼糸という女性を思い描いている。透明感があって控え目な女性、夢の中に出てきた女性のイメージだ。
「私、糸さんという人に会ってみたかったなー」千葉さんは声を潜めた。
「皆に言っていませんが、私は子どものころ黒沼さんの家の隣に住んでいました。同じ正森集落の出身です。良治さんとは中学も一緒でした」
人は思わぬところでつながっている。それは偶然ではないような気がする。
「小さな頃は糸さんに手をつないでもらうのが嬉しくて……いつも遊びに行っていました。大きくなってからは、勉強も教えてもらったし、絵も教えてもらいました。糸さんの絵、すごく素敵なのです」
千葉さんはまた時計を見た、用事があるのだろう。千葉さんが帰ってしまう前に聞いておきたいことがある。
「ちょっと聞きにくいことなのだけれど」
「何でしょうか?」
「会議のときペーパーが落ちてしまって…そのとき、何て言うか……」
「フフフ、おかしな落ち方をしましたよね」
「やはり見ていましたか、なんか気持ち悪くて」
「あのときはごめんなさい、笑ってしまって」
「いいえ、どう言ったらいいのか。不自然に落ちたので気持ち悪くないですか?」
「私、山奥の孤立した集落で育ちました」
「はい」
「山の集落では説明がつかない不思議現象が起こったときなど『オマモリさまが降りて来た』って言うのです。昔からの風習というか言い伝えです。オマモリさまは先祖や縁者が降りてきて、人を守るといわれている縁起の良いものです」
「オマモリさまですか」
「はい、集落の人にとってはありがたいものです。不思議な現象を見ると手を合わせるお年寄りもいるくらいです」
「では不自然にペーパーが落ちたのはオマモリさまのせいですか」
「集落の人はそのように考えるのです、私も一瞬そう思いましたから」
「面白いなー。では私は守られるというわけですか?」
「それが誰を守りにきたかはわからないのです。ずっと後になって、「あのときは誰が守られた」と語られる、後づけなのです。対象者は新島さんなのか、近藤さんなのか、渡辺さんなのか、私なのかわらないのです。もしかしたら話題になっていた黒沼さんかもしれません。あやふやな土着信仰のような古い言い伝えです」
千葉さんはまた時計を見た。