「ごめんなさい、私行かなくちゃ」
話の続きを聞きたいが、千葉さんがペコリと頭を下げてしまった。無理強いはできない。
「何か用事ですか?」
「はい。糸さんの自画像、黒沼さんの家にありますよ。それじゃー」
千葉さんは謎めいた言葉を残して走り去ってしまった。
翌日、現場事務所に入ると思わず頬が緩んだ。大テーブルの中央にチョコンと置かれた、それ。小振りのコップ花瓶につゆ草の花が差し込んである。
誰が? 千葉さん? 新島は近くに寄って紫の花に触れてみた、小さな野の花だが何とも可愛い。
一次考課、黒沼良治──Eマイナス。
これは何だ! 新島は天を仰いでしまう。このような評価を下して心は痛まないのか? 明日でいいと言ったはずの人事考課をその日の帰りがけに置いていった。
軽い心でチャッチャと査定して、ハイできましたと考課表を持ってきた渡辺の顔が浮かぶ。少なくともEマイナスは会社に多大な損害を与えた者、理由なく長期欠勤の者に与えられる評価だ。確認もせず洗浄機に妙な仕掛けをしていると決めつけ、だからEマイナスなのか?
〇残業等に協力的か?
〇正確に「報・連・相(ほうれんそう)」を使えるか?
〇同僚、上司に必要なコミュニケーションを図れるか?
〇良いと思ったことをドンドン上司に進言できるか?
〇作業の改善や工夫に取り組んでいるか?
査定項目にも偏りがある。これでは黒沼のような人間は認めないというに等しい。新島はいつの間にか黒沼の側に立って考えている。
この評価をこのまま上にあげていいものか? 採点された黒沼のこと、採点した渡辺のことを考えているときに、当事者の渡辺が事務所のドアをノックした。
「ちょっといいですか?」
「どうぞ」
書類を隠し招き入れると、渡辺は用心深く入ってきた。
「近藤さんには内緒でお願いします。近藤さんは心配するから言うなって……でも俺」
「口は堅いですよ、何でしょう?」
「迷ったのですけど、前の係長の坂下さんから言われていたことです」
新島は座り直して話を聞く体勢をとった。
次回更新は3月23日(月)、20時の予定です。
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