【前回の記事を読む】会社にいると、とある女性をつい探してしまう。(あの美しい人はどこにいるのか…)感覚を研ぎ澄まして、食堂を見渡した。
おごそかな挨拶
会話が途絶えたとき、新島の前に置かれたペーパーが不自然に落ちた。ペーパーに触れた覚えはないのだが、風でも吹いたのかペーパーはふわりと落ちた。それを目で追っていた千葉さんが新島の顔色を窺い、小さく含み笑いをしてみせた。
「今の見ました?」と言いたげな千葉さんの表情だ。新島にしても自分でペーパーを落したという自覚がない。「何が起こったの?」。逆に問いたい気分だ。
職場会議で黒沼への対処、処罰を話し合っているときに奇妙なことが起こった。どうやら奇妙なペーパーの落下を目にしたのは新島と千葉さんだけのようで、近藤と渡辺は気にかけていない様子だ。
渡辺が冷めたコーヒーに口をつけてから、
「黒沼は俺の班の人間だから俺が片をつけます」
近藤が気遣うように声を掛ける。
「なべちゃん、一人で背負い込むなよ」
やはりこの二人は奇妙なペーパーの落下を見てはいなかったようだ。話題が黒沼の処罰に終始している。近藤が口を開く。
「黒沼のこと、どうしますか?」
答えに窮し、新島は拾い上げたペーパーの文字をそのまま棒読みした。
「洗浄機のこと、勉強します」
ただちに黒沼を断罪しない新島に対し、渡辺と近藤のテンションは上がってこない。
「しかし、何で黒沼さんは残業しないのですか?」新島は素朴な疑問を口にした。
「反抗的で、何も喋らないし勝手な奴ですからネ。それに奴、バス通勤ですから」
渡辺はまた反抗的という言葉を使った。
「残業するとバスに乗れないというわけですか」
「その気になれば残業だってできないことはないでしょう」
千葉さんが控えめに口を挟む。顔立ちからは想像しにくい落ち着いた声で、知性的に感じられる。
「へんぴなところから来ているから……バスの本数が少なくて大変なのです」
千葉さんは黒沼の側に立って発言したのか? 新島には千葉さんが明らかに近藤、渡辺とは違う角度から黒沼を見ているような気がした。
「ウム、それは言える……」
近藤が年長者の立場から話をし始めた。
「黒沼の奴、以前はバイクに乗っていました。事故起こして怪我して、姉ちゃんに心配かけて、姉ちゃん泣かせて、姉ちゃんにガツンとやられてバイク取り上げられた。それでバス通勤」
「お姉さん?」
「美人で優しくて、あの黒沼さんがお姉さんの言うことだけは聞いていました」
千葉さんが話を引き継ぐ。美人で優しい……。また今朝の夢が脳裏をかすめた。話を続けてほしいところだが近藤が話を引き取ってしまった。