融の意地が一瞬光を放ったエピソードがある。
悪名高き時の権力者であった藤原基経が陽成天皇を廃位し、次の天皇に誰をたてようかという会議が宮中で行われたとき、融は「いかがかは。近き皇胤をたづねば、融らもはべるは」と主張したという。
つまり、近い天皇の血筋ならこのワシもいるぞ、と皇位をのぞむ野心を示したのであった。しかし、基経に拒まれ、結局光孝天皇が即位することになった。
実は、この融こそが『源氏物語』の光源氏のモデルではないかと言われている。高貴な出自で、容姿端麗、教養もあり財力もあるとなれば、光源氏と融はぴったりと重なる。実際、河原院そのものが光源氏の邸宅である六条院と、場所も規模も一致しているのである。
光源氏を彷彿させるような風流な歌も詠んでいる。
今日桜しづくにわが身いざ濡れむ香ごめに誘う風の来ぬ間に
(今日、桜よ、雫にわが身はさあ濡れよう。香もろともに誘い去ってゆく風が来ないうちに)
小倉百人一首
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに
(奥州のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心も千々に乱れているのは、あなたのせいですよ)