はじめに
古典が苦手だった私が小倉百人一首に初めて興味が湧いたのは、恥ずかしながら、還暦を過ぎてからであった。
まず縦書きのノートを買ってきて、たまたま細君が持っていた高校時代の教科書を参考にして勉強を始めた。
学生に戻ったような気分がして、これが意外に楽しかったのである。和歌の意味や作者の人物像が分かると、俄然面白くなってきた。
次は暗記に挑戦した。細君が小さなカードを作ってくれたので、いつもそれを持ち歩いて覚えることができた。いろいろな解説本や関連本を買っては読み漁り、知識も少しずつ広がっていった。
定家が百首を選んだ時雨亭跡の可能性がある場所が嵯峨野に常寂光寺、二尊院、厭離庵(えんりあん)の三カ所あるという。
京都を旅行した際、そのすべてを訪れて感慨に耽った。次に、一人ひとりの作者に愛着が湧いてきたので、小倉百人一首以外の歌を調べてノートに書き写してみた。すると、ある大きな疑問に突き当たったのだ。
それは、藤原定家が選んだ小倉百人一首は、はたしてその歌人の一番良い歌なのだろうかということだ。どう考えても、もっと優れた歌があるのではないかと思うのだ。
たとえば、柿本人麻呂は、あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝むが選ばれているが、人麻呂の歌の中にはもっと感動する良い歌が数多くあることに気づいた。
藤原定家自身の来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつという歌にしても、これが彼の一番の秀歌とはとても考えられないのである。さらに、なぜこの歌人が選ばれたのだろう、というような人も散見される。
よし、それならば思い切ってこの私が、定家とは違う百人を選び、その歌人の一番好きな歌を見つけてみようと思ったのである。