察するに、もし今の母の頭が、夢の中か酒に酔ってでもいるようにフワフワしたものであるなら、極端ともいえる情動の起伏や、時に、それによって言葉の裏を詮索するのが困難となる事も解るような気がする。
もともと人一倍であった不安症や心配性が異常に強くなるのも、やはり脳腫瘍のせいなのだと、寛容に理解してあげなければいけない。
(フコイダン錠の件については、母の気持ちがすむならば……と思い、「二日くらいやめてみて様子を見ては」という坂本師長の提案に従うことにした。が……)
二月十四日(日)晴
車椅子で院内散歩に出た……。窓にそそぐ陽の光が気持ちいい。
なのに、「歩くだけでも、疲れちゃうのよ」と、母は言う。歩くと言っても車椅子に座っているだけなのに、その座っているだけが辛いのであり、わずかな振動さえ負担なのだろう。
「リクライニング出来る大きな車椅子なら楽だろうから、一度試してみようか……」と、母に聞くと、「うん、ためしても、いいよ」と答えた。
この前、坂本師長には「もう少し様子を……」と、言われたけれど、刻々とその時は近づいているのかも知れない。
仕方なく早々に散歩を切り上げ、母をベッドに戻した。
母の力はほとんど入らず、「よいっしょ、よいっしょ」と、気合いの声を出すばかり。
そんな自分を可笑しみ、「かけ声だけは立派だねぇ」と、母は笑った。
歌でも聴こうか……と、DVDをかけた。
♪春は名のみの風の寒さや
−早春賦−
母は一緒に歌おうとするが、声にならず「ふぅー」と、小さな溜め息を一つ。
この歌「早春賦」は、大正のころ、作詞家・吉丸一昌が安曇野を訪れ、その雪解け風景に感動して書いたもの。母も私も昔から大好きな歌だ。
「まさか『早春賦』の故郷に住むようになるなんて思ってもみなかったねぇ……」と、私が言い、「うん」と、母も同感。