【ネイビーの宿題メモ】
The New School for Social Research
『ニュースクール』紀平英作著
『ジョン・デューイ』上野正道著
https://www.newschool.edu/nssr/
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュースクール大学 より引用と編集
■19世紀末の産業革命によって、労働者という階層が生まれ、次第に働く権利や社会格差などの歪みが深まり、社会は、個人の自由を重んじる自由主義だけでは対応ができなくなっていく。
その結果、起きてしまったのが、第一次/第二次世界大戦と、それに挟まれた大恐慌、ロシア革命、ナチスの台頭だった。
■1919年、激動の真っただ中で、ニューヨークに新しい社会人教育機関が誕生する。
■ニュースクールでは、
「各領域での専門化を図り、象牙の塔たる威信を高めようとしていた既存の有名校に対して、閉ざされたエリート的空間よりも、人文社会科学が持つ総合性と実践性を謳い、日常的に市民社会の担い手・知識人であることを目指していた」
「そうした彼らは、試行錯誤があっても、あるがままの観察から得られる経験的知識こそが、世界をつなぐと思い描いていた」
■社会人入学生それぞれは、ひとりの担当教員と話し合いながらカスタマイズした学習プランを立てるなど、対話を重視した自由な学校だった。
■創設に尽力したメンバーのひとり、ジョン・デューイの影響が色濃かったようだ。
「コモン・マン(市井の人々)の哲学者」と評されるデューイは、すでにLaboratory Schoolという子ども向けの実験校を開設しており、学校は「社会生活と連携して子どもたちの創造性を促す、小さなコミュニティ」「教育と文化の相互関係が生まれる場」であり、「知識を吸収する競争より、仲間と創意工夫しながら学び合う」ことを主旨とした教育方針を掲げていた。
■創造性の高い先進的な校風として知られ、アメリカの高等教育機関では初めて、黒人史や女性史の講座を設けた。後に文学・芸術・演劇などのコースも加わり、写真やジャズの講座も先んじて開かれた。
■第二次世界大戦時には、ナチスの迫害を逃れた学者たちを多数受け入れ、「亡命者の大学」とも呼ばれた。
■教授や招聘講師には、ジョン・メイナード・ケインズ、マーガレット・ミード、
エーリッヒ・フロム、アルフレッド・シュッツ、クロード・レヴィ=ストロース、
ロバート・ハイブローナー、ソースティン・ヴェブレン、ユルゲン・ハーバマス、
ハンナ・アーレント、フランク・ロイド・ライトなどが名を連ねる。
次回更新は4月1日(水)、11時の予定です。
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