【前回の記事を読む】バスで出会った女性がとてつもなく美しかった。そっと手を差し出すと、彼女も応じるように手を伸ばしてきて……
おごそかな挨拶
緊張で固まった心が部長の気遣いで揉みほぐされた。柔らかい気持ちになり、目の前の従業員たちの顔を見る余裕も出てきた。思考が少しずつ動き出している。最前列に赤いハンカチを口に当てている神経質そうな女子もいる。
──お手柔らかにお願いします──
白髪頭のメガネをかけた男性。
──どこか中学時代の理科の先生に似ている。……いろいろと教えてください──
作業着の襟を立て悪ぶった若い人。彼は先程すれ違うとき、さり気なく道を譲ってくれた。
──ありがとう──
この人たちと一緒にやっていこう。茫洋とした決意が新島の背筋を伸ばした。目線を遠くにやって小さく息を吐いた。
目線を切ろうとしたとき、今朝の異様な場面が蘇った。
──あの人だ!──
早朝、暗がりで出会ったあの人を見つけた。集団からポツンと離れて立っている。何で一人だけ……。今朝も一人で暗がりで働いていた。仲間外れ? いつかテレビで見たシーンが想起される。シマウマの群れの中でポツンと一頭だけ離れたシマウマ、仲間外れのシマウマのようだ……。
「今日からこのファイバー一係を担当してもらう新島係長を紹介します」
自分が紹介され、一斉に視線を浴びて新島は我に返った。
「新島係長は長年グラスファイバーの研究をしてきました。ブレミッシュの原因となるミクロン単位の泡、そのガスの種類、汚れのエキスパートです」
過分な誉め言葉に新島は照れた。こそばゆさに身を縮め、おでこに手をやり、両手で顔を覆った。その仕草が受けたらしく、従業員たちから白い歯がこぼれた。
「よろしくお願い致します」
消え入りそうな声で言うと拍手が起こった。新島は頭を下げたままその拍手を聞いた。
『長年グラスファイバーの研究をしてきました』
何とも気恥ずかしい言葉で紹介されてしまった。新島は今まで一度も研究などしたことがないと思っている。工業高校を卒業して運良く入社したところが光デバイス研究所だった。
最初に与えられた仕事は水飴の中にパチンコ玉のような鉄球を落とし、落ちていく鉄球の速度を測る仕事。温度を変え、鉄球の形を変えては何度も何度も落下速度を測定した。
そのデータが何に使われるのかもわからず、一週間程その作業に没頭したのを覚えている。