【前回記事を読む】一家族に鬱と不登校の引きこもりが2人。先の見えない未来に落ち込み、誰も笑わないお通夜みたいな日々を過ごしていた
私と病気の二人三脚。
病院は完全看護だったので、付き添いは認められていなかった。さすがに、生死をさまよった最初の1か月は、私の祖母が付き添ってくれていた。
両親は共働きだったが、毎日面会に来てくれた。容体が安定し、小児科病棟の6人部屋にうつった。入院中の記憶はほとんどないのだが、鮮明に覚えているのは、桃色から水色のグラデーションでフリルの付いたパジャマと、花の形をした洗面器がお気に入りだったこと。
そして、おやつの時間が楽しみだったこと。私が入院していた病院では午前と午後の2回おやつの時間があった。午前は果物と決まっていて、これは嬉しかった。病室のみんなに同じものが配られたからだ。
午後のおやつの時間はちょっと嫌だった。午後はお菓子が配られるのだが、食事制限のあった私はいつも飴玉2個だけだった。
食事制限のない他の子はクッキーとかカステラとかが配られていたので、すごく羨ましくてしかたなかった。飴がイチゴミルク味の日は当たり、ニッキ味の時ははずれだった。
私は自己肯定感が高く育ったが、それはこの幼少期の入院生活のおかげもあるだろう。年齢も患っている病気も1人1人みんな違った。
食事内容も違えば、治療の内容ももちろん違う。運動制限のない子どもたちは1日1回、プレイルームで遊ぶ時間があった。
私は運動制限があったため、病室の自分のベッドでお留守番だった。入院生活ではみんな一緒に出来ることは少なく、むしろみんながそれぞれに違うことが普通だった。だから、私は自分を他の誰かと比べることはなく育った。
でも、いったん外に出たらどうだろう。保育園に通えばみんなと同じことをするのが当たり前だった。入院生活は人と違うのが当たり前だった。
一体、どっちが正解なのかな? 私は病室でみんなと同じおやつ、お菓子がいいと泣くのが正解だったのかな?
寛解状態になり退院はしたものの、食事(塩分)制限、運動制限がずっとあった。
小・中・高校と運動制限のため、体育の授業を一度も受けたことがない。週1回の通院のために、水曜日の午後は必ず早退しなくてはならなかった。
義務教育の間は良かったのだが、私が通った高校は単位制である。そして、週1回の選択授業が見事に水曜日の午後に被っていた。
毎回出席が出来ないので、もちろん単位が取れないから卒業の危機である。なので、私だけの特別授業が行われた。私と先生との1対1、先生のピアノ伴奏に合わせて、私が歌う、無観客ライブが開催された。
中学校卒業までに腎臓病で入院した回数は7回ぐらいだと思う(正確には覚えていない)。
おいと理由は違うけど、私だって半分不登校みたいなものだった。おい、だから学校に行かなくても、何とかなるさ。今するべきことは、楽しいこと、好きなことをたくさんすることだ。学校に行かないのは、人生の不利には絶対にならない。