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私を育てた父と母

私が何かをしたいと言った時、両親に反対されたことは記憶にない。小さい頃入院生活や病気のせいで何かと制限されていたので、出来ることは何でもさせてやろうという親心だろう。持病があったため、ハンデがあるとも思っていたかもしれない。

しかし、私は物心ついた時はすでにこの身体だったため、自分にハンデがあると思ったことは一度もない。

両親は共働きだった。周囲に共働きの家庭がまだ多くなかった当時、母はバリバリのキャリアウーマンだった。母は私が生まれて1か月で仕事に復帰したので、私は乳児園に預けられていた。母は今でも事あるごとに言う。

「お母さんが働いてなかったら、もっと早くに異変に気づいたかもしれない。ごめんね。丈夫に育ててあげられなくて……」

「? そんなこと一度も感じたことないよ。私はこの身体が当たり前だし、自分の人生気に入ってるもん」 

両親は私に出来る限りのことをしてくれた。強く思い出に残っているのは小学校の行事だ。親子レクリエーションで古墳に登ってお弁当を食べるという行事があった。当時、運動制限があったので古墳に登ることは私には無理だった。残念だけど、諦めよう、と思っていたら父が突拍子もない提案をした。

「おれが、おんぶをして登ろう」

はあ? 古墳は普通の登山と違って、かなり急斜面を登らなければならない。まさによじ登るという感じだ、無理に決まってる。しかし、父はやってのけた。きっと私の破天荒ぶりは父親譲りだ。

他にも、私の通っていた小学校は、歩け歩け遠足なるものがあった。10キロほどの道のりを歩いて目的地に行くというものだった。私に10キロを歩くのは無理、こちらも諦めていた。

しかし私の両親は諦めない。何とタクシーを貸し切って、参加出来るようにしてくれたのだ。10キロの道のりの間に、ところどころ止まっては、みんなと一緒に校外学習をした。今でも忘れられない貴重な体験だ。