先生も同級生もそんな病気の私を特別扱いせず、そのまま受け入れてくれた。

体育の授業はいつも見学だったが、みんなが自然に帽子を私に預けるのが当たり前だった。ソフトボールの授業では、私がボールを打ち、走るのは先生の役目だった。私は自分が特別扱いされているとは感じず、それが私の個性だと思っていた。そんな風にありのままの私を受け入れてくれた先生と同級生にはずっと感謝しかなかった。

卒業20年の年に、同窓会があった。先生も参加し楽しい会だった。1人1人挨拶する時、「病気だった私を時別扱いせず、仲良くしてくれてありがとう」と、お礼を言うと「えっ。そんなことあったっけ?」「そんな重い病気だったの」と意外な返事が返ってきた。いやいや、覚えてないのか!

おい、こんなものだ。他人は意外と人のことは見てないし、時が経てばいい思い出にもなるが、忘れていくことも多い。心配する必要はない、今おいが不登校なことなど、大人になったら、取るに足らないことになるんだよ。

例えばおばは生まれ変わったとして、もう一度病気になることが決まっていたとしても、私はまた今の両親のもとに生まれたい。私は大切に育ててもらった。

「私は箱入り娘だね。桐の箱かな。過保護に育ててくれてありがとうね」と言ったことがある。対して母は、

「はあ? 桐箱どころじゃないよ。ダイヤモンドの箱だよ」

と返答した。うっ、さすが私を産んだ人だ。かなわないな、と思った。

おいにも、私たち家族の元に生まれたことを誇りに思ってもらえると嬉しいな。

人生を変えた海外留学

私はこんな感じで、いろいろと病気を経験しているとは思えないほど破天荒な性格だ。やるか、やらないかで迷ったら、やる。やらないで後悔するのは嫌だった。何かを決める時は自分一人で決めた。たとえ結果が良くなかったとしても、自分で決めたことには後悔しなかったし、良い経験になったと思うことが出来るものだ。

大学生のころ、海外留学することも家族に相談せず、勝手に決めた。もともと海外留学など考えていなかったが、ある日キャンパスを歩いていると、ふと掲示板に貼ってある海外留学の希望者を募るポスターが目に入った。費用を見ると、バイトで貯めていたお金で賄える金額だった。

これは行かない理由がない。その足で事務局に行き申し込みをした。別に内緒にするつもりもなかったが、わざわざ言う必要もなかったので、両親には言わずに出発した。到着して落ち着いたころ、アメリカから国際電話をかけ、両親を大変驚かせた。

留学先はアメリカのインディアナ州で、いろいろな学部から参加者がいた。ちなみに海外へ行くのはこれが初めてだったので、それだけでもわくわくしていた。しかも普段は同じ学部の友人との交流が多いので、他の学部の人と交流するだけでも新鮮な気持ちだった。

 

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