本研究実施の意図は、そもそも高次脳機能障害は「見えない障害」と言われるだけあって退院前に検出しておかねば退院後の日常生活で露呈してしまうため、入院中の評価が望ましいと考えたためです。

会議のたびに在籍大学院生Kさんが上肢の麻痺で運転できなくなった私を乗せて市内西端のキャンパスから東方にある当該研究科キャンパスの会議場所まで連れて行ってくれるのが常でした。今は近県の大学教員になっているKさんの優しさと細やかな心遣いに、私は心から感謝しています。

参加の院生はほぼ皆この新しいテーマに没頭し、双方が新鮮な刺激を受けたように感じます。

おそらく、先方の院生たちにとって、脳損傷後にそのような認知機能障害が出ることも初めての知識だったと思いますし、そもそも高次脳機能障害などという概念自体はこれまで聞いたこともなかったと思われ、私の院生たちにとってもIT活用の評価システムの構築など人生初体験のできごとだったはずですから。

そして、そのうち数人が共同研究の結果を学会発表するなどして活発な研究姿勢を少しずつ取り戻し、各自が思い描いたテーマの研究を継続することができました。

それ以外の在籍大学院生も、同僚教員の強力な支援により各自の研究テーマに関する論文を完成させ、短い残り在籍期間のうちに院生ほぼ全員の学位取得という偉業を果たすことができました。こうしたいきさつで、関係学生にとってはめでたい研究の進捗となりました。

しかし一方で、私の方は麻痺の残る利き手がほぼ使用できない単身生活は困難を極め、授業資料作成や教員用メールボックスからの書類の取り出しと事務仕事にもひどく難渋し、後遺症の発話障害に伴い学部の授業すら発症前と同様には行えず、「今日もクリニックの梯子か……」と週に何日も通院が重なるような不便で健康不安に怯える生活が続き、自宅での火傷をきっかけに、単身生活をもうこれ以上継続はできないと判断して、とうとう最終結論に至りました。

それは、最も誇りに思い大切にしてきた大学教員という仕事からの離脱を意味しました。懸命な努力の結果現職復帰しただけに、退職は大変たいへん悔しく残念で、これはまさに断腸の思いからの決断でした。

2010年5月からわずか10か月というとても短い復職期間になってしまいましたが、こうして最終講義を経て2011年 3月、私は大学を退職し、神戸から東京に転居することになりました。大変寂しく悲しい撤退でした。

 

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