【前回記事を読む】脳卒中で「失語症」を発症——生存率も低く、いつ命が終わるかも分からない。死と隣り合わせの状況で感じたことは…

第一部 社会に飛び出せ ―数奇な私の人生―

Ⅲ.社会に参加する

大学復職

回復期リハビリテーション病院を退院後、自宅や施設などの拠点に落ち着いた時期を生活期と言います。発症時混乱状態にいた患者さんは、回復期〜生活期に至ってようやく落ち着いて自分のこれまでの人生を振り返り今後の生き方を考えられると言われています。私の場合、生活期がちょうど復職以降現在までの時期と重なりました。

何しろ、復職は私が発症以来目標としていたことですから、私は約5か月間の自宅準備期間後、2010年春に夫同伴で神戸を再訪して産業医との面談で復職可の判定を得ることができ、ここで教員を続けるつもりで、身体機能障害を持ちつつも通勤できそうな沿線の適当な住居を新たに見つけ、引っ越しの手配をし、必要な家具を買い揃え、役所に公的手続きをするなど、勇んで新生活への準備を始めました。

2010年5月、私はついに現職復帰をしました。復帰までの「発症後10か月」という期間は、私の知る限り最短スピードでした。こうして私は勤務先まで地下鉄1本の神戸市内サ高住に転居し、再び助け手不在の単身生活に戻りました。

振り返ると、発症当初は左足の麻痺で歩けず車椅子移動していましたが、発症19日後には杖を使わず自力で100m以上独歩できるようになっており歩行や電車移動には自信を持っていたので、単独行動に不安はありませんでした。

ただ、得意領域であった左半側空間無視(右共同偏視を伴う極めて重度無視。急性期の自主リハビリで解消)や一定分量の内容を自由自在に話せないという談話レベルの障害と、利き手である左上肢の麻痺(後述)や左半身の感覚障害(後述)と注意障害・情動制御の問題などのような軽度の高次脳機能障害(すべて後述)は解決すべき問題点として残っていました。

そして、介護保険で訪問リハビリを受けつつ、指導教員の突然の発症と休職で活気を失った関研究室をかつてのような明るく楽しく研究熱心な多職種の社会人専門職大学院生間の交流の場に戻すために、休職中知己を得た研究者を講師に招いてセミナーを開催したり、従来続けてきた院生による研究発表会を復活させたり、大きな研究プロジェクトを立ち上げ学内他研究科との共同研究を企画したりするなど、研究室活性化のために様々な企画を考えました。

ちょうど国が進める産学官や研究科間連携の機運が学内で高まっていた時期で、学内他研究科との多面的視点からの共同研究も盛んになりつつありました。 

多数の関研究室所属の大学院生はその流れに乗り、共同研究先の研究科キャンパスでの「VR(Virtual Reality, バーチャルリアリティ、仮想現実)を用いた退院前の脳損傷患者の高次脳機能障害評価法の開発」会議に出席しました。