【前回記事を読む】「あぁもう全く死にてえよ、勝手にクソは出るしよ…」かつては手品まで披露していた彼が、トイレにも行けなくなり…
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高齢者の介護においては、自然にその人の「終末期」というものに向かって進んでいくので「傍にいるだけ」というのは非常に重要だった。体が痛い、苦しい、死んでしまうのかな、怖い。物忘れが酷くなっているのが自分でも分かる。これ、娘なの、こんなに年はとっていないはずよ、ああ、私自分の家も忘れているの、怖いわ。
体中を耳にして、傍にいる。必要とあれば手を握る。そうすると少し安心してもらえる。
障害者の介護に於いては、「傍にいる」というのはまた違う意味合いを持つらしい。彼らはまだ若い。葛藤のただ中にいる人も少なくない。「傍にいる」だけでは物足りないのだ。「傍にいる」と気持ちを思い切りぶつけてくる、とでも言えば良いだろうか。
さまざまなやりかたで「ぶつける」に応じなければいけない。ただ聴く、というのもありだ。
活動でその人を大活躍させたり、手芸や工作を一緒にしたり。動画を一緒に見たり、歌を唄ったり、踊ったりもあり。一歩進めて、「育てる」ということもしている人もいる。かの朴訥な先輩だ。
拓也さんの傍にいた。ぶつけられた。それが「キスして」かあ。どう打ち返せばいいのか分からない。打ち返す、というか受け止めるものでもないし。
朴訥先輩に尋ねてみる。
「拓也さんのしていることは明らかにセクハラです。いろはさんの愛情は彼に伝わっているはずですが、彼はそれ以上のことを求めている気がします。グループホームの先輩職員に相談してみるのもいいかと思いますが、いろはさんの性格上言わないでしょうね。気が重いでしょうけど、応援します」。
そうなんですよ、やあ、よくお分かりですね。どうすればいいか尋ねてるんですよ、先輩。応援します、もう、ガンバレ、ニッポンの世代の人だ。結局は自分で考えてなんとかせえっていうことね、そうなのね。
朝は少し早めに出勤することにしている。出勤時間ぎりぎりに行くと、連絡事項や昨日の記録を確認することができないし、8時半に朝礼が終わって8時40分に入浴介助開始ならば、10分で大きい浴室に利用者さんを迎え入れる準備をしなければいけない。
ストレッチャーやチェア浴用の椅子になにか不備がないか確認したり、準備をしながら午前中の流れを自分なりに考えたりしたいので、早く出勤して支度をする。誰もなんとも言わないが、するな、とも言われないのでずっとそうしている。
人間関係は苦手な方だ。なので休みの日も一人でぼんやりしていた方が楽だ。しかし、仕事は対人援助なのだから、なかなか舵取りが難しい。朝のうちは早くから仕事の準備を黙々としていたが、準備がつっかえるようになってきた。朝食を済ませた利用者さんに挨拶をすると話をしてくれるからだ。