桶狭間の戦い、秘策中の秘策

◆天文3年(1534年)〜永禄3年(1560年)頃

家康ルートも使い三河の衆を味方につけ、目撃情報や酒宴をさせるよう仕組ませたのだ。

信長は、「その頃には、裏切り者〝戸部〟はこの世にいない。今川方は、尾張の動きを察知できぬ状態になっている。我が尾張の手勢や動向を知る術もない。

よって我が勢は家康の三河の味方の僧を使い偽情報を与え、今川を油断させたわ。戦場ではあり得ない、酒場を開かせることにも成功したのよ。

天も味方に付いた。我らが桶狭間に向かう中、酒盛りの後、暗雲が垂れこみ轟音と共に雷が走った。今川勢は酔って雷雨を避けるため三々五々に木陰に隠れ散り散りになった。

しかも嵐は、我らの背から今川勢に向け吹き荒れた。当然、奴らは我らの行動に気がつきにくい。視野が良くない。そこを一気に叩いたのよ」

すると秀吉が、「思い出しました。拙者も足軽組として槍と刀を持ち戦場を駆け巡っておりました。風上から風下へ一気に攻め申した」と言うと、

「そうよの。帥が草履取りから足軽大部屋に移った頃よな」と信長は喜んだ。