尾張統一、そして小牧城へ

目を閉じて回想する秀吉は、昂然と躍進する信長の姿が脳裏に焼き付いて離れない。

「あのときの信長様は、鷹のように狙った獲物は必ず仕留める鋭さがあった。今川第9代にして全盛を極めた東海随一の弓取りと呼ばれた今川義元を桶狭間で討ち取り、民の安寧と発展のため領土を拡大していった頃だったわ」

◆永禄6年(1563年)7月頃

暑い夏、30歳になった信長は、真新しい小牧城の天守にいた。

織田家惣領になった信長は、美濃攻略のため、尾張中心の清州から尾張北部の小牧へ城を移転していた。天守には、周囲を見渡すことができる小窓がいくつもある。信長は、石垣で攻められにくい城造りをいち早く採用していた。

小牧築城以降、岐阜、安土の城も、鉄砲の弾も跳ね返す総石垣造りで、石垣は盾の役割をしていた。その城の守備は、大坂、江戸へと受け継がれていく。信長は石垣以外にも、内装も趣向を凝らした天守を造った。

天守の中心には、評定用テーブルが置かれ、それを囲むように小さな椅子がぐるりと並ぶ。その一番上座には、この城の主、信長が座り、苛立ちながら藤吉郎を待っている。

他の重鎮たちは、それぞれ表御殿で政務を執り行っている真最中であった。

次回更新は3月5日(木)、19時の予定です。

 

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