【前回の記事を読む】高校からの友人は学生運動に身を寄せていった——数年が経ち、新聞の見出しに彼の名が…そこには…。
八丁味噌と取らぬ狸の皮算用
すでにその時、前の不動産会社を辞めて三カ月が過ぎようとしていた。
生まれてまだ一歳にも満たない子どもをあやしながら、
「ねえ、あなた、このまま一体どうするつもりなの? ねえ、お金が入る当てでもあるの? ねえ、私の言う事をちゃんと聞いているの? もう、毎日呑気に本ばかり読んでいて、いい加減にしてよ。あなたお願いだから、次の新しい仕事、早く見つけてきてちょうだい」
と、いら立ちを隠さずに話す妻の口調には、近頃はそれにとげとげしさも加わって、僕を一層憂鬱にさせるのであった。
少しばかりあった蓄えもそろそろ底をつくようになり、やはり不安が募ってきたのであろう。不満げに険しい表情で話し掛ける妻の顔を見るのは、もう、うんざりしてたくさんではあったが、彼女の気持ちも少しは分からない訳で無かった。
その頃、僕に仕事の当てが全く無い訳では無かった。しかし、それまでも幾つかの職を転々としていて、最初の子どもが生まれるのをきっかけに、好条件に釣られて前の会社に入ったのである。
しかし、その会社にも色々の事があってそこを辞め、今度ばかりは本当に長続きのする、安定した仕事に就きたかったのである。そして、前の会社で何やかやと親しくしていた元同僚、と言っても僕よりかなりの年長であったのだが、その彼から突然のように電話がかかって来たのは、ちょうどその頃であった。
その三カ月前まで、僕は京成線沿線にある、主に中古住宅の仲介と販売を手掛けていた不動産会社で、東京に通うサラリーマンなどの顧客を相手にし、一張羅のよれよれの背広を着て、それこそうだつの上がらぬといった形容がぴったりの、冴えない営業マンとして働いていた。
田中角栄の列島改造論以来の不動産ブームに乗って、特にこの業界にはその様なエキセントリックな経営者がやたら多かったのであるが、この会社も御多分に洩れず、強烈な個性と灰汁の強い、そしてお金に異常に執着心が強い社長が、文字通り一代で築き上げたと言っていい、この近辺の不動産業界でも、色々な意味でかなり名の知れた会社であった。
したがって、その経営方針や営業方法、それに労働条件も違法すれすれのかなり際どいものであった。