【前回の記事を読む】衝撃的な揺れ。巨大津波が町をのむまで残り15分。大津波警報が町中に鳴り響くなか、なぜか彼女は海の方へ走っていき…

時空の溶解

後ろを振り返った。もう波は沖合まで来ていた。作業に没頭する愛子はそれに気づかない。

工藤は全てを捨ててもいいと思った。身体の力が抜けていく。ゆっくり樅ノ木へ近づいていった。段々と愛子の姿がクリアになってくる。彼女は土から掘り返したオルゴールに、さっき工藤が渡した指輪のケースと何かを入れていた。再び土をかけ、近くにあった大きな石を土の上に置いた。

ほっと一息ついた愛子がこちらを向く。「シュウ……」と言って、口ごもった。おそらく工藤の後にもう波が見えていたからだろう。

「愛子、最後に言わせてくれ」

何かを悟った愛子が、優しく頷く。

「もし、って言葉がずっと嫌いだった。仮定は現実に及ばないから。

でも今はもしを肯定できる。もしあの時、角を左に曲がっていたら、もしあの時、ドアを開けなかったら、もしあの時、涙を我慢していたら、って。一つでももしを間違っていたら、二人は今こうして一緒にいない。

俺と愛子のもしもは全てつながっていたんだ。だから今は、自分の全ての選択を褒めてあげたい」

涙を流した愛子が工藤に抱きつき唇を合わせる。幼稚園の時ふざけてしたキス、以来だった。それが最後だった。あとは冷たく、塩っ辛い波に二人はのみこまれた。

「……さま、工藤様!」

柴崎に身体を揺すられ、工藤は目を覚ました。VR4型の計器類の明かりがぼやけて見える。ゴーグルとヘッドフォンを外すと、全身にびっしょりと汗をかいていた。

「おかえりなさいませ」

この場に及んでも冷静な柴崎に、救われた気がした。現実を思い起こさせてくれる。

そういうことか……。

工藤は何となく『V⇔R』のからくりがわかった気がした。人間の記憶というものは、失うわけではなく、しまわれているのだという。普段は消えていても脳の引き出しにちゃんと残っている。