チリは1990年、即ち前年までピノチェトの独裁政権が続き、民政に移行したばかり。その先の安定化の見通しも確たるものではなく、新政府との開発計画への許認可やコンセッション(運営委託)契約も何時破られるかもしれない状況であった。

そうした政治リスクを担保するにはG to G(政府対政府)の構図を取った上での政府系の保険の付保が求められたが、今でこそ一般的になったとは言え、当時はイラン革命で接収された化学プラントの保険金をMITI(通産省)がM物産に支払った件以降、通産省もいわゆるMITI保険の制度を凍結していた状況で、いわんや、当事者のM物産も通産省に対して保険のお願いなどできる立場にもなかった。

そんな事情をとつとつと、同社非鉄金属部のSr部長代理より聞いたのは、出張で戻って訪問した、皇居を見下ろせる会議室に於てであった。

「鉱石の品位が高く、精錬効率の良い案件なので、是非やりたいんだけれどね。財務部に相談したら無下に断られてしまったよ。無理ないよね。出資は難しいにしてもせめて製品の引取だけでもできればと思ってRio社とは交渉しているけど、出資しないのであれば、引取り手は他にも一杯いるから割当てしないよと言われてしまって」と。

「我々の様な業種はね、良い鉱山の権益を確保しておいて、何年かおきに価格が吹き上げた時にがっぽり稼いで、後は寝ている、と言うスタイルなんだ。だから、この山の権益を押さえておきたいのだよね」とも。

政治リスクは民間では取れないし、当時者のM物産は前科があって弱気な上に、相手がお役所。そもそも難しいのかな、との印象を持って、CITIの在日代表部を訪ねた。不良債権で苦境にあったCITIも東京のオペレーションを大分ダウンサイズしていて、この種の話を担当する部署など無く、連絡係役的な存在のFj氏がいるのみであった。

「もうすぐ定年で、家で飼う大型犬の散歩に毎日早く帰宅すべく17時にはオフィスを出なくては」との前置の上で、話だけでもと席に着いてもらった。

どうしたら MITI(通産省)の姿勢を変えられるか、そしてM物産を出資の伴う製品引取手として参加させて、プロジェクトの経済性を安定させつつ、ディベロッパー(開発会社)のRio Algom社の強みと組み合わせて前に進められるか等、どうせダメモトと思いつつ、勝手なことを言い放って、その場はそれで終わった。

陰鬱で静かな夕刻であった。ほんの少しでも風がそよいでいてくれたら慰めにもなっていたかもしれない。

 

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