一生やろうと決意できる仕事に出会えたことは幸せなことだ。自宅兼仕事場である我が家にはたくさんの人が訪れる。そのざわめきの中で生きていくのが、当たり前になった。
夏休みともなれば朝から生徒の元気な声が聞こえる。若さは何物にも代えがたい。お金にも、時間にも代えられない。若いというだけで素晴らしい。
かといって歳を重ねることを憂いているわけではない。歳を重ねるのも悪くはない。昨日できたことが今日できなくなることもある。
それを楽しめるかどうかに、輝きは懸かっている。
若さとは昨日できなかったことが今日できることになる可能性である。
老いとはできなくなったことが多い自分を受け入れられるかどうかである。
受け入れられたらそれは勝ちである。そんな気持ちで今をわたしは過ごしている。
最近になってわたしは、大嫌いだった父が、理想の人間だったのかと錯覚を覚えるようになった。
物事を深く考えるが、難しく考えない。何でも受け入れるが、自分の核をもっている。
緊迫した中に、ユーモアをもって生きる。人の迷惑顧みず我が道を行く。これは、困ったものだ。
思ったことはとりあえず口にする。これも困ったものだ。
人がやらないことこそ率先してやる。誰かが嫌なことをするより自分がしたほうが気が楽だ。そしてそれを喜びとする。小さいことは気にしない。たぶん、神経は1本しか通ってない。
そんな父親に、わたしは似ている。いや、似てきた。わたしという人物を客観的に考えた時、父親という存在が一番近い人物像かもしれないと思った。クローンではない。しかし、確実に自分の中に父親は、存在する。