M子とおなかの子の死。それは、喜ぶべきことではない。この上なく悲しむべきことだ。
『認知症は、都合の悪いことは忘れ、都合の良いことは忘れないと言うじゃない』
先程の彼女の言葉を思い出した。都合の悪いことは悲しみに対応し、都合の良いことは喜びに対応する。二人の死を悲しみとして受け止めたから、忘れたのだ。そういっても、詭弁的な自己弁護に過ぎないが……。
だが、認知症でも、悲しい出来事で、どうしても忘れられないこともある。
母と子がともに死ぬ悲劇。俺にも、似たようなことがあった。ただし、未遂だが。
俺が、幼稚園の時の出来事である。
深夜、ぐっすり寝ていた俺は、突然母に揺り起こされた。
「起きて。静かに。出掛けるよ」
あわてて、起き上がった。寝ぼけまなこで、服を着て、靴を履いた。
その頃、父と母は、不仲だった。その夜の家出は、それが頂点に達したからだろう。
二人で、真夜中の街を歩いた。俺達が行ったのは、鉄道の線路のそば。周囲は田畑が広がり、近くに家はない。
暗闇の中、俺達は黙って立っていた。母は自殺しようとしたのだろう。俺は、子どもなりに、これから恐ろしいことが起こりそうなことを本能的に感知し、震えていた。
だが、俺達がいた間、列車は来なかった。やがて、小さな灯火(ともしび)が見えた。目の前まで来て、ようやく父だとわかった。
これは、昔実際にあったことだ。この、子どもの頃の事件は、強烈であった。認知症になっても、忘れられない。時々、あったことそのままの夢を見る。ぐっすり寝ていても、起きてしまう。出来ることならば、忘れてしまいたい出来事だ。
認知症は、思い出したくないものは忘れ、思い出したいものは覚えている、と言うが、必ずしもそうとは限らない。認知症でも、どうしても忘れられないことがある。
M子親子は死に至り、俺達親子は死の崖の一歩手前で踏みとどまった。結果は両極に分かれたが、紙一重の差でしかなかった。
そんなことを回想しながら、ゆっくり歩き始めた。さあ、帰ろう。道のあてはないが、歩くしかないと思った。