【前回の記事を読む】「どうして、忘れてしまったの」老いて認知症を患った俺の耳に入ってくるのは若すぎる女性の恨みがましい声で――
あの世で、君と結ばれる
若い女の声だった。姿は見えない。彼女は俺の名前を知っている。
「やっと、来てくれたのね」
寝ている時に、時々聞こえてくる声に似ていた。
「誰?」
「私の声を忘れたの。はるか昔、交通事故で死んだ、従妹のM子よ」
M子って、だれだったっけ。
「昔、このベンチで、あなたと抱き合った。死んでも、忘れられない出来事よ」
「……」
「私は、昔から、あなたのことが好きだった。
しかし、親達から、従兄妹同士では、結婚してはいけないと言われ、男女の関係にはならなかった。時には、もういい、あなたに身を任せようと思ったこともあったが、必死に我慢し、欲望のままにはならなかった。あなたも、そうだったのでしょう。懸命に自分を抑えているのが、手に取るように、わかったわ。
生まれ変わったら、従兄妹同士でなければ、結婚しましょう、私、そう言ったけれど、覚えている?」
「覚えていない」
「もう、忘れたの。それなら、きちんとお話しするわ。
私達は、それでも交際を続け、それを心配した親達が、私に見合いを迫った。断り切れず、結婚したが、夫・義父母とうまくいかず、家出した。自殺も考えたわ」
「悪いけど、誰か知らない人のお話しを聞いているみたいだ。自分に関係があることとは思えない」
「まあ、ひどい。本当にわからないの。認知症なのね。それじゃ、とにかく、きちんと説明するわ。
私は、死ぬ勇気もなく、ふらふらと歩き、修善寺に来た。そうしたら、あなたが階段に座っていた。
桂川のほとり、竹林の小径を、夢中で話し合いながら、歩いた。あなたは、私に結婚しようと言ってくれたわ。二人は、喜びのあまり、このベンチで抱き合った。好きなあなたとのことだから、避妊は考えなかった。その時は、まだわからなかったけれど、幸い婚家から離縁され、あなたと一緒になることが可能になったのです」
「やはり、違う。だって、俺には、妻や子どもがいるから。おかしいよ」
「いや、おかしくないわ。そんなことがあってから数ヶ月後、修善寺駅前で、飲酒運転の車にはねられて、おなかの子も死んでしまった。もちろん、あなたの子どもよ」
何も浮かんでこない。