【前回の記事を読む】77歳、後期高齢者と呼ばれる年齢でキャンピングカーを購入した。「今この瞬間を生き、今の瞬間が人生のすべて」と即決だった。
第1章 胡蝶夢号
2 胡蝶夢の意味
コラム3 胡蝶の夢
最近、私が大学生のころに読んだ福永光司著『荘子』(中公新書)注1)を開いてみたところ、本の至る所に書き込みが見られる。最後の書き込みの日付は1969年3月19日*となっている。むきになって荘子に反論しているところが青臭く、また当時が懐かしくもある。
今回、改めて福永氏の古びた本を読み直したが、なかなか素晴らしい著書だと思う。改めて「不知の知」の意味を噛み締めた。善と悪、正義と不正義、美と醜、などなど、物事の対立はもちろん見方を変えれば全く反対になる。
しかしこのような判断はあくまでも「知」のなす技であり、人間が「知」を捨てられない限り「知」の限界を超えられない。「知」の所産である価値判断によって人間の自由なあり方を束縛し歪曲する。
「知」を超える、「知」から分つこと、乃ち、あるがままを、あるがままに受容すること。これが「不知の知」と説かれている。
私は相対的な物の見方が好きだ。その考え方が私の人生の基本だ。ただ社会に対する表現系は、荘子とはかなり異なるように見える人生を送ってきたかもしれない。
事実40年間、知的好奇心に駆られて研究に打ち込んできたが、2007年に肺ガンの手術を受けてからの直近の5年間は医学部長を3年間務め、現在は大阪大学総長を務めている。
そして、あるがままの姿を受け入れるのではなく、なんとか現状を変えよう、自分の価値判断で良くしようと毎日奮闘している。この姿は荘子のそれとはほど遠い境地を彷徨っているとも見える。
生を善しとし、死を善しとする。一切万物は自生自化する。人生は常なきものである。
「人間は一瞬一瞬に断絶の深淵の上を踏まえながら、その断絶を一つの連続として自己の一生を生きていく」――福永光司著『荘子』より。絶えず死の前にたたされている「現在を現在として精一杯に生きる」、「この瞬間を必死に生きる」と荘子が言っているようにも聞こえる。