私は常日ごろ、学生に「目の前の山を登りきる」ことが重要と言ってきた。目の前の山を登りきることにより未知の可能性が、未来が開ける。その頂への最後の道のりこそが最も過酷なときであり、この試練を乗りきった瞬間に目の前の展望が果てしなく広がると、いつも若い人に、あるいは自分自身に言い聞かせてきた。
この言葉がある意味では荘子の世界とはかけ離れているように思えるかもしれない。しかし、見方をかえれば「今の瞬間にすべてが凝縮している」というある意味で刹那的、その刹那に全力を注ぐ、そのことにより、迷い、不安、葛藤、など様々な心を一点に集中させることによりその瞬間を生きることに通じる。
荘子の考え方は見方によれば達観して世の中を見下ろす観もあるが、達観しながらも、その瞬間を生き抜くという意味では私の考え方と通じるものもある。
荘子の考え方では、結論/決めつけや価値観の判断などの問いかけそのものも、そもそもどうでも良く、あくまでもあるがままを楽しむ、あるがままを生きる、ということだと思う。ある意味では私も荘子と同じ道の上を歩いているのではないかと思う。
社会に対する表現系が他人からみれば荘子と私では大変異なるように見えるかもしれないが。それにしても大鵬高く飛翔する下りは壮観だ。これほど大きな世界はあるだろうか? 感激で、心が震える。
「北冥に魚あり、その名を鯤となす。鯤の大きさ、その幾千里なるを知らざるなり。化して鳥となる、その名を鵬となす。――鵬の南冥に徒るや、水の撃すること三千里、扶揺に搏きて上がること九万里、去りて六月の息を以ってするものなり。――小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。何を以ってその然るを知るや注2)」
大鵬は3千里の海面を波立て9万里の高さに舞い上がり、一路南冥を目指す。蝉や小鳩に何がわかる。小さな世界に住む者には想像もつかない大きな世界がある。時間も同じ。朝菌は1日という時間がわからない。蝉は1年という時間が理解できない。人間は千年という時間の意味が果たしてわかるだろうか? まして138億年という時間をや。
2013年1月記
1 福永光司.(1964).荘子(中央公論社)
* 当時22歳で大学4年生
2 荘子.(2008).中国の思想 荘子(徳間書店)
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