【前回記事を読む】道ですれ違っても無反応になった友達は家にこもりきりに…ある日戸が開け放たれ、葬式出入りが始まって、死んだことがわかった。
第一章 悲の断片
第二節 友の死
私が彼に初めて逢(あ)った日、犬挟峠(いぬばさりとうげ)の麓(ふもと)の居酒屋で独り酒を飲んでいると、彼が入って来て向かいの席に坐(すわ)り、見知らぬはずの私に自分たちの原始からの永遠の魂(たましい)について話し出した。
私はその少しく猟奇(りょうき)的な話に耳を傾(かたむ)けていたが、いつともなく酔いに任(まか)せて話し出していた。
――我々の住んでいる倉吉という土地の名についたクラという言葉が、魂(たましい)を表わす言葉であること。例えば、岩に宿(やど)る魂を岩倉と言ったり、神の魂を神楽(かぐら)とか鞍馬(くらま)と言ったり、地の魂を地藏(じぞう)と書いたりするように。
しかも、このクラという言葉は信仰を表(あら)わすと共に、原始交易(こうえき)(集団でなされた原始の物々交換)を表わす言葉であること(原始に於(お)いては、信じ合うことと与(あた)え合うこととは、同(おな)じことだったのだ)。
そして、マリノフスキーによれば、このクラと言われる原始交易(こうえき)が、今もなおメラネシアの島々の原住民によってなされていること。
驚(おどろ)いたことに、古代ギリシアのクラという言葉も、原始の信仰と交易を表(あら)わしていること。地図を広げて、メラネシアからギリシアに至(いた)るところの、クラと名の付く地名を探(さが)していくと、クラと名の付く地名は、クレ、カラとも変形して、日本各地に散在し、ことにシルクロードの周辺(しゅうへん)に幅(はば)広く点在している。
そして、そんなシルクロードを介(かい)して、ヨーロッパ各地に散在している。そうしてみると、シルクロードはもともとは原始交易(こうえき)(クラ)のルートだったことになる。
とすれば、我々の住(す)む倉吉という土地の名に付(つ)いたクラという言葉は、自分たちが原始のシルクロードの末裔(まつえい)として、原始の魂の息吹(いぶき)をこの辺境の地にあって、今もなお受け継いでいることの証(あか)しであることになる。
倉繁、倉増、倉本、……といった名字も、いかにもそれらしい名に思(おも)われる。私はそんなふうに、クラというたった一つの言葉に掛(か)けたロマンを、酔いに任(まか)せて喋(しゃべ)っていた。
Kはそんな私の話を興味深げに聞いていたが、我が意(い)を得たという様子で立ち上がると、赤いスポーツカーに私を乗せ、犬挟峠(いぬばさりとうげ)を越えて、湯原の歓楽街(かんらくがい)に伴(ともな)った。そこで浴びるほど酒を飲んで回ったところで、私の記憶は途絶(とだ)えてしまう。気が付くと、露天風呂(ぶろ)に裸で浮かんでいる自分がいた。