だが慈円は、太古からの日本の歴史を透徹(とうてつ)した眼差(まなざ)しで捉(とら)え、その時々には全くあさましく、理不尽に見える歴史の中に『道理』を見いだそうとした。それが理不尽な現実に絶望する人々に対する、宗教家としての自分の勤(つと)めではないかと考えていた。

おもむろに、慈円は問うた。

「それでは、生仏、今、何が聞こえるか?」

怪訝(けげん)そうに若者は耳を澄ませた。

「風の音が、聞こえます」

「どう聞こえるか?」

「松を吹きすぎる爽(さわ)やかな音、杉を揺する力強い音、草をさやさやと吹きすぎる音、天高く渦巻く音。様々な風の音が、聞こえます」

「ふうむ」

慈円は、うなずいて、柔らかい声で言った。

「では、そなたは目が見えていた時に、そんなふうに風の音を聞き分けていたか?」

生仏は、はっとした。華やかな宮中で、美しい庭園や見事な調度で飾られた御殿で演奏していた頃は、風の音をこんなふうに聞き分けた事など、なかった。

「目が見えなくなったからこそ、聞こえる音も、あるのではないか。

今だからこそ、『楊真操(ようしんそう)』もこんなふうに弾けるのではないか」

そうだ、と生仏は思った。

そういえば、今日奏(かな)でた『楊真操(ようしんそう)』の響きは、どこか、昔の『楊真操(ようしんそう)』と違う。

それにしても、曲の名を即座に聞き取るこのお方は、いったいどんなお方なのだろう。

慈円は、孤独を知っていた。母を二歳で、父を十歳で失い、孤児の心細さは身に沁みついている。

名を捨てて生き直そうとしている若者の孤独を、慈円は肌で感じ取った。

固く閉ざされていた生仏の心の奥底で、何かが、小さく開いた。

慈円は、手を叩いて侍僧を呼んだ。

「新しい琵琶法師が、来た。今日からこの琵琶法師生仏は、この寺に住む。琵琶法師達の所に、案内してくれ」

 

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