慈円は兄の関白九条兼実(くじょうかねざね)に、再三隠遁(いんとん)したいと訴えたが、九条兼実(くじょうかねざね)は、それを許さなかった。名声も地位も望まない慈円の私心の無さ、公平さこそ、天台座主(てんだいざす)として鎮護国家(ちんごこっか)、国家安泰(こっかあんたい)を祈るにふさわしいと、九条兼実(くじょうかねざね)は知っていた。
慈円は、問うた。
「そなた、何故、名を捨てたのじゃ」
若者はしばらくためらっていたが、きっぱりと言い切った。
「この世には、『理』が無いと、思ったからでございます」
「何? 『理』が無いと」
「はい。
この世の中は、どんなに努力しても、あっという間に覆(くつがえ)ります。
良いことをしても報(むく)われず、悪行を重ねても栄(さか)える者もいます。
それゆえ、私は名を捨てました」
生仏の言葉は、真っ直ぐに慈円に伝わった。
理不尽な運命の変転なら、慈円自身も味わってきた。
天台座主(てんだいざす)慈円は、兄である関白九条兼実(くじょうかねざね)と鎌倉殿源頼朝(みなもとのよりとも)と力を合わせて、平和な世を築こうとしていた。
だが源通親(みちちか)の策謀で突如、兄九条兼実(くじょうかねざね)は関白の座を追われ、慈円も天台座主を辞した。
建久七年(一一九六)の政変である。
近衛基通(このえもとみち)が関白となり、幼い土御門(つちみかど)天皇の外戚(がいせき)、源通親(みちちか)が権勢を振るった。
頼みの鎌倉殿、源頼朝(みなもとのよりとも)も、数年前に急死した。そして去年、慈円を最も理解し、ともに国家安泰(こっかあんたい)を願っていた兄九条兼実(くじょうかねざね)も亡くなった。
世の移り変わりは実にあさましく、優れた人々は死に果ててしまった、と慈円は思い知った。
この世には『理』がない、という若者の思いは、慈円にもわかった。