【前回の記事を読む】宮中で称賛を浴びた若き琵琶奏者。だが突発的な熱病に倒れ失明すると、家も友も離れ、彼は絶望の淵へと落ちていった
第一章 創生の人々
一 宮中の楽人(がくにん)
慎重に弦の調整をし、生仏が撥(ばち)を鳴らしてばららん、と一息に弦を響かせたとき、慈円は、はっとした。一音一音が粒だって磨かれている。撥(ばち)を鳴らし終えても、遠くまで大気に微(かす)かな震えが伝わり、余韻(よいん)が深い。
このように音を響かせるためには、どれほどの修練を積んだことだろう。
さらに優しく撥(ばち)を返せば、得(え)も言われぬ繊細(せんさい)な音が響く。撥(ばち)を鳴らして鮮やかに弦を一気に弾き下ろしたり、歌うように音色(ねいろ)を響かせたり。
あらゆる技法を心地よさげに駆使(くし)して、生仏は難曲を軽やかに弾きあげた。
慈円は、吐息をついた。
この華やかな曲は『楊真操(ようしんそう)』に違いない。
昔、楊貴妃(ようきひ)が玄宗(げんそう)皇帝に鼓(つづみ)を打たせて演奏した、と伝えられている秘曲だ。
到底、琵琶法師に弾ける曲ではない。
曲が終わると、慈円は尋(たず)ねた。
「生仏、とか申したな。
そなたの元の名は?」
「生仏にございます」
「そなたは、もしかして」
「琵琶法師生仏にございます」
その時、慈円はすべてを察した。
この若者は、何かを振り捨てようとして、ここに来たのだ。
秘曲『楊真操(ようしんそう)』を弾きこなす若者が、一琵琶法師として生き直そうとしている。
慈円自身も、西行と出会った若き頃、痛切に願った事がある。
西行のようにすべてを捨てて、隠遁(いんとん)したい、と。