天平5年開創という寺の歴史の重みだけで無く、周囲は武蔵野の自然に恵まれ寺の境内に沿って国分寺崖線から湧き出る澄んだ水の流れもあり散歩にはもってこいの気持ちのよい区域なのである。我が家からさほどの距離では無いので私も隣接の梅林を歩いたり、たまには参道の蕎麦屋の緋毛氈の縁台で蕎麦切りとビールを楽しんだりすることもある。
もう一つ興味を引くのが、この深大寺に何らかの関わりを持つ俳人たちの句碑が境内に数多くあることである。
本堂左手の元三大師堂手前に、本人に生き写しという高浜虚子の胸像があり、その下に彼の代表作の句碑がある。
遠山に日の当たりたる枯野かな
虚子は調布に住んだこともあり、この遠山は深大寺の丘という説もあるのだそうだ。虚子の像の隣には中村草田男の句碑がある。
萬緑の中や吾子の歯生え初むる
萬緑が夏の季語となるきっかけになったという有名な句である。
草田男は東京帝国大学卒業後、母と叔母の紹介で会った高浜虚子に師事「ホトトギス」で学んでいる。その後、彼は成蹊学園の教師を続けながら石田波郷、加藤楸邨らと共に人間探求派の俳人として活躍した。結婚後、草田男の住まいも深大寺に近かったというから、萬緑の緑は深大寺周辺の豊かな緑がイメージされたかも知れない。
草田男と共に人間探求の俳句を目指した石田波郷の句碑はさらに境内の左奥にある。
吹起る秋風鶴を歩ましむ
石田波郷の没後、二代目の「鶴」を主宰した星野麥丘人の句碑は波郷の隣に並んでいる。
草や木や十一月の深大寺
波郷と麥丘人二人の墓は共にこの深大寺にある。
話をこの深大寺のある調布市に戻すが、「調布」という名は律令制時代の租税の一つ「調」として納めた麻布が由来である。近くの多摩川でこの麻布晒しを詠んだ万葉集東歌は有名である。
多摩川に晒す手作りさらさらに何ぞこの児のここだ愛しき
(万葉集巻14)
千数百年の時を超えて時代は移っても、そこに生きた人間たちが同じように五七の韻律の詩形でこの調布の地にも足跡を残していることに改めて浪漫を感じる。
蛇足だが、そう言えば『ゲゲゲの鬼太郎』の歌も同じように五七で歌詞が並べられていたような気がするが。
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。