【前回記事を読む】新宿は江戸時代から繁盛していた? “とうがらし”と“新しい宿場”として栄えた街。

昼寝をするは虚子

この辺りの丘陵地は南山と呼ばれ、開発にはかなりの反対運動があったことは後から聞いた。数年前は丘陵地の木立の間から富士山を望めて、ハイキングコースのようなこの辺りをおむすびをリュックに入れ歩き回ったこともあった。

江戸時代、吉原で亡くなった遊女たちの墓が関東大震災の折行き場を失いこの辺りに移された。薄い板のような儚げな墓石が重ね並べられた場所が南山の一角にあって心霊スポットなどと噂されていた。今回の開発でその場所も何処かに移されたようだ。

南山の丘陵の外れ、今回の開発の手が伸びなかった辺りに妙見寺という天平時代創建と伝わる古寺がある。毎年八月七日、刈り取った青萱で長さ百五十メートル程の大蛇の形を撚(よ)り上げ、厄払いをする「蛇より行事」で有名な寺である。

普段はこんもりと緑に囲まれて静かなこの寺の片隅に小さな句碑が立つ。

住職の留守に昼寝をするは虚子 汀子

高浜虚子の孫、稲畑汀子の句である。当時鎌倉に住んでいた虚子は度々この妙見寺で句会を開いた。

汀子の句は寺の座敷でくつろぐ虚子の姿を詠んだものだ。二男六女の虚子の子供のうち五人が俳人となったが、汀子も含め虚子の孫三人も俳人である。

稲畑汀子は虚子の長男年尾の娘で、父高浜年尾の死後「ホトトギス」主宰を継承し、名誉主宰を務めた。

時は過ぎ月日は流れ、世の中の何もかもが変わっていく。もし、高浜虚子の魂が又ここに戻ってきたとしたら、この妙見寺の座敷に再び寝転びながら、変わりゆく世、変わりゆく自然を眺め、一体どんな句を詠むことだろう。

追記 稲畑汀子 二〇二二年二月二十七日 心不全のため死去(九十一歳)

深大寺

 

実際にその漫画本を読んだわけではないのだが、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の第一話書き出しは「調布市に暗雲が立ち込めて……」という描写から始まるのだそうである。

その調布市の京王線調布駅から約2キロの場所に深大寺という名刹がある。深大寺蕎麦でも有名な寺で、初詣には20万人もの参拝があるという。NHKの朝のドラマ『ゲゲゲの女房』ではその近くに長く住んでいた水木しげる夫妻がこの寺界隈を散歩する場面がよく登場していた。

山門前に軒を並べる深大寺蕎麦の店に並んで、ゲゲゲの鬼太郎茶屋という土産物屋とカフェを兼ねた店もある。鬼太郎やねずみ男のマンガのキャラクターに喜ぶ子供から老若男女、山門前はいつも多くの人で賑わっている。