【前回の記事を読む】「できない〜、先生無理!できないよ〜!」リハビリ訓練室。膝関節を一見無理に曲げさせられている患者だが顔は笑っていて…
第三章 噂
事故からやがて一年になる、一九九一年夏。透は装具をつけて立位を保持するところまできた。
「もう少ししっかり立てるようになったら、歩く訓練もできるよ。もう少しだよ」
広澤はそう言って透を励ますが、その「しっかり立つ」が難しい。両足に着けた装具はそれぞれ足首と膝と腿をつなげる支柱が両側にあって膝と足の動きをコントロールし、立位時の姿勢の安定を助けていたが、ちょっとでもふらつけば、転倒し頭を打ってしまう危険性がある。
広澤は透の正面に立ち、ウエストに着けたベルトを左手でガッチリ摑んで、どんなことがあっても透を転倒させないようにしていた。万が一膝をついても膝蓋骨を損傷しないよう、膝には大きめのパッドをつけてガードする。
広澤だけの力ではよろめくときもあるので、奥井は側面から常に注意して見守り、慎重の上にも慎重を期していた。
「透先輩、ファイト!」
透が訓練をしているのを見つけては、必ず声をかける者がいる。高校生の吉田達也だ。体操部の試合で鉄棒から落ち、頭と肩を強く打ち、脳挫傷と肩関節の脱臼で入院した。
脳挫傷は透ほどの重症ではなく、順調に回復していた。退院の目処も立っていることから、リハビリ訓練室でもひときわ明るく、人懐っこい性格もあって他の患者たちからも慕われ、アイドル的な存在になっている。その達也が、透に一目置いていたのだ。
まさ子は一度、不思議に思ってそのわけを尋ねてみたことがある。
「透先輩、すごいなーって思って。何度失敗しても、立とうとしてるじゃないですか。感動しちゃった。俺、体操部じゃ結構期待の星だったんですよ。他の奴らが一回でマスターできないことがパッとできるし、新しい技も、ちょっと練習すれば成功する。
そういうの、当たり前だと思ってた。できない奴らをバカにしてた。……なのに頭打って肩外してここに来て、腕上げるとか、指動かすとか、当たり前にできたことが全然できないじゃないスか。