【前回の記事を読む】80歳を過ぎた父がNISA?! かつて株で失敗した父を止めるため、私は最終手段に出た――

第2章 老いを受け入れるということ

生まれ変わっても逃れられない介護問題

高齢者は、生きるためのよすがを探しています。普段気丈に見える親ほど、高齢になるにつれて、内心は頼りないものになっていくものです。

特に、昭和中期以前を生きてきた高齢者は、時代の変化に取り残されていると感じます。

少し前までは、「うちの子に限って」と言われていましたが、現代は「うちの親に限って」ではないでしょうか。

私も自分の両親と同居していて、「なんでこうなるの?」という場面に、何度も遭遇しています。

たとえば私がまったく知らない人と、親が外で親しそうに話しているのを目撃して、あとで「あの人はどなたなの?」と聞くと、本人も知らない人だったということがありました。

呆(あき)れることも多いのですが、親が頼るべきところは自分しかないのだと思うと、なんとか支えてあげたいという思いが湧き上がってきますし、それが曲がりなりにもできていることに喜びを感じています。

わざわざ私の不在の時間を狙ったと思われる勧誘の電話が、頻繁にかかってきます。そのようなお年寄りを狙い、悪事を働こうとする者から守ってあげたいと、電話一本にも気を配っています。

まだ、両親には、ありがとうと言われたことはありません。そして、私も自分のどこかで親に対しては、感謝できない部分があります。しかし、きっともう少しあとに、2つの骨壺を抱いたら、親に対する感謝といとおしさで、私は大きな声を出して泣くのでしょう。

今まで、うまくいかないことばかりでした。

人並みのことができなくて、いつも親に叱られました。

もしも生まれ変わるとしたら、できれば今度は人並みでありたいと願ったこともありますが、生きとし生けるものそれぞれに、人に言えない苦労があるはずです。

人並みであったとしても今のように介護について悩むことから解放されるわけではありません。

そう考えると、今の人生も決して悪くないのかもしれません。

最後に頼れるのは家族。それはどんな家族でも変わりません。