ただ、あくまでこの意見は自分たちが自分の体験から発言したのであるから、自分たちの自主性によって結論を出すようにリードすることが肝要である。

例えば「家族愛」や「友愛」にしても、困った時に友人を助けてあげたり、家族を徹夜で看病したり、といったものはある一つの目的のために熱中し追い求めた結果として「家族愛」や「友情」が生まれ、楽しかったり、うれしかったり「幸福感」に浸ったりするのである。この事例をまとめてみると次のようになる。

ある一つのことを追い求め、努力し熱中した時に、その行動や思いの副産物として我々の心の中に生まれてくる積極的な感情を「生きがい」という。

つまり、何かに熱中したり、何かを追い求めて努力したりすることもないのに、副産物だけを求めてみても、それはないものねだりであって「生きがい」は得られないということになる。

この新入社員教育の締めくくりとして、私は次のように言っている。

「今日から、社会人としての第一歩を踏み出した皆様は、これからの長い一生においてどんな生き方をしようと自由だ。しかし、一つだけ考えておいて頂きたいことがある。それは皆様が今日まで親や兄弟、あるいは地域社会や国家の庇護のもとで育ってきて、大勢の人たちから奉仕を受けて立派な社会人になることができたということである。