普段はこの時刻になると、社交ダンスと自由ダンスの人数も膨らんで広場に溢れる。だけどきょうはもう店じまいだ。
周回路での路上合唱は禁止されていた。警官がリーダーを引っ張っていこうとする。
北京の春は柳絮(白い綿毛に包まれた白楊の種)の季節。
雪のように舞った。牡丹雪(ぼたんゆき)くらいの大きさ。雪との違いは軽さで、着地に時間がかかる。
それが顔のところでたゆたう。風に吹き溜まって白く集まり、別の風でまた流されていく。
いまは新型コロナウイルスが地球に蔓延しているが、二〇年前にはフェイディエン(非典、正式には重症急性呼吸器症候群、またはSARSという)が蔓延してそれが去るまでの三ヶ月間北京に足止めされた。どっちみち北京に住んでいたのだからどうでも良かったが日本に逃げ帰りたい気持ちもあった。
柳絮からうつるかもしれない。
自転車を漕ぐと鼻に柳絮が飛び込んできそうで気持ち悪い。
飛散水の中で二時間、フェイディエン菌は生きると中国国営テレビ。おしっこの中でもそうだという。
自転車の多いこと。前の自転車のおっさんがペっぺと痰とか唾を吐いた飛沫が付いていないと誰が保証してくれる?
その頃は痰を路上に吐くのは当たり前、北京五輪に向けての痰根絶運動はようやく緒に就いたばかり。
路上の汚さは尋常じゃない。そこにも病原菌がうじゃうじゃしていると思うと、歩くよりはまだ自転車の方がましかとも思えるが迂闊に外出もままならない。
「マスクをすればいいんじゃないの」
そういう安直な問題ではなかった。本当に有効なのか? 靴の裏の清掃はどうするんだ。日本の路上とはちゃうんやぞ。降りしきる柳絮に運ばれて衣類のあちこちに病原菌の飛沫が付いた可能性もある。牡丹雪の中を自転車で走った、そういう状況なんだから。
要介護四の老人を在宅介護する心労は、経験したもの同士でないと分からない。マスクの問題もこの類の議論だ。そこから始まる不毛なやりとりにはかなり疲れた。
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