財政は、升屋との関係を絶って中井・小谷・岩井ら近江出身および仙台城下の富豪商人らから融通を受け、見返りとして領内の米、雑穀の買入販売、領内の新田開発を請け負わせ、この開発地からの余剰米を売り出すこと、また中井に藩内の殖産の振興、藩外での販売等を請け負わせるなど積極政策を取った。
しかし、利潤がさほど生じなかった。
つまり藩内における販路が整っていなかったため殖産興業が活況にならなかったのである。
また軍備費に費消した。安政三年(一八五六)からの蝦夷地警備費、同年五月九日、徳川斉昭九女孝子との婚姻費用等の支出があり財政が逼迫した。
藩主慶邦は、財政難を打開するため芝多民部常則を天保一一年(一八四〇)六月二十九日、奉行職に任じた。
芝多民部(柴田郡村田邑主二千石)は性機敏で、事を処するに大胆な手腕を持っているとの評があった。
芝多は、軍備費等を捻出するため日野屋を蔵元にして藩札を発行した。これを改正札と称したが信用がなかった。また買米制度を改革することもなかった。
つまり落ち込んでいる景気を刺激し好景気を図るというインフレ政策を取ったのである。
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