一つ目は『司馬遼太郎の世紀』の「司馬遼太郎年譜」の「昭和十一年、十三歳この頃から御蔵跡町の大阪市立図書館に通う3」の十三歳説(中学一年生説)で、二つ目が『司馬遼太郎全集』三十二巻「自伝的断章集成」の「昭和十三年 十五歳 中学三年生。このころより御蔵跡町の市立図書館へ通い始める4」と記された十五歳説です。
この年譜の十五歳説の文章について、和田宏さんは「そこで年譜にあわせて、尻ごみする司馬さんにむりやり来し方を語ってもらった」と書いているので、「自伝的断章集成」は司馬さん自身が話したものであり、確認したものといえます。
つまり、どちらが正しいかといえば、司馬さん自身がチェックした『司馬遼太郎全集』三十二巻の年譜になると思われますが、しかし『司馬遼太郎の世紀』の「司馬遼太郎年譜」が司馬さんの死後にまとめられた年譜だったとしても、単純に間違いだとはいえないのです。
なぜなら、『風塵抄』の「“独学”のすすめ」には「図書館にゆけば簡単にわかることが、学校では教師とのあいだで感情問題になってしまう。私の学校ぎらいと図書館好きはこのときからはじまった」とありますし、また、「私が市立の御蔵跡図書館を使ったのは、中学一年だった昭和十一年から、兵隊に行く十八年まででした。ずいぶん長くご厄介になりました6」と書かれたものもあります。
1「都市色彩のなかの赤」『風塵抄』中央公論社 一九九一年
2『大阪市立図書館一覧』出版者不明 一九二六年 大阪市立中央図書館提供
3『司馬遼太郎の世紀』齊藤愼爾責任編集 朝日出版社 一九九六年
4「年譜」「足跡 自伝的断章集成」『司馬遼太郎全集』32 文藝春秋 一九七四年
5「大阪市パノラマ地圖」美濃部政治郎編 日下わらじ屋 一九二四年 国際日本文化研究センタ提供
6「図書館で教わった本の読み方」『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版III』『週刊朝日』増刊 朝日新聞出版 一九九七年