【前回の記事を読む】司馬遼太郎、最古の作文を徹底分析!読者に鮮明な風景をイメージさせる秘訣は「俯瞰的でスケッチ風な描写」にあった
第一章 司馬遼太郎の育った庭
二 校友会雑誌『上宮』
司馬さんの「赤」
司馬さんの色彩について、少し考えてみたいと思います。司馬遼太郎忌が司馬さんが好きだった菜の花からとって、菜の花忌と呼ばれていることは有名です。しかし、司馬さんは菜の花の黄色以外にも好きな色があったように思います。
『風塵抄』の一番最初に収められている「都市色彩のなかの赤1」は司馬さんが色彩、特に「赤」にこだわりを持っていたことがわかる興味深い随筆です。
この「都市色彩のなかの赤」というエッセイは、司馬さんが三十代の頃、富岡鉄斎展で見た、ある文人画の作品が赤を的確に使っていることで、「その小さな赤は、小指をピンで突いたように全体に痛みを広げるほどに衝撃的だった。私はこの一作のために鉄斎が大好きになった」という体験を書いたものですが、逆に司馬さんの好きな赤を鉄斎が絶妙な使い方をしたがゆえに鉄斎を好きになったようにも捉えることができるかもしれません。
「都市色彩のなかの赤」の後半部分には、大阪の街の色彩感覚に対して辛辣な言葉が並んでいます。「色彩の騒音」や「わが故郷ながらいやになる」「赤が多用されればされるほど、町のガラはさがるようである」とも書いています。これを読んでいると、司馬さんがいかに色彩に繊細な感性を持っていたカラーリストだったかがよくわかる気がします。
このような大阪の街の「赤」に対する辛辣な苦言は、司馬さんの大阪への愛情から来ているとは思いますが、生来の色彩に対する感性の鋭さから来る嫌悪感だったようにも思えます。