この「都市色彩のなかの赤」と対照的な文章が一篇あります。先にお話しした「物干臺に立つて」がそれです。司馬さんはすでにこの頃から自分の文章の絵画的、スケッチ的に捉える特色や自分の色彩感覚を自覚していたように思えます。なぜなら、司馬さんは色彩感覚などを意識しながら、この作文を書いているように思えるからです。
この「物干臺に立つて」は授業で書いた作文がたまたまよかったからではなく、芦名先生がこの作文が、「厳密な計算」に基づいて書かれたすごい作文だったことを見抜いたからこそ、校友会雑誌に掲載を決めたのかもしれません。
それだけに、芦名先生が自分の挑戦的な作文の意味と価値を見抜いてくれたことや自分の文才を認めてくれたことが嬉しくてたまらなかったのかもしれません。司馬さんは初めて自分を理解してくれる人間を得たと思ったようにも思えます。
司馬さんはこの時の感動、感謝を中学校卒業後、二十年以上が経過しても忘れませんでした。それほど、真の理解者を得たという司馬さんの喜びは大きかったのです。
三 大阪市立御蔵跡図書館
御蔵跡図書館とは
御蔵跡図書館は大正十年十月に開設されました2。当時、大阪市の東西南北の全四区にほぼ同時期に新しく開設された四館の内の一館でした。司馬さんはこの図書館に中学・大学時代を通じて通っていたことは有名です。
司馬さんが通った市立御蔵跡図書館は、司馬さんの作家としての背骨を作ったといってよい図書館でした。司馬さんはこの図書館の蔵書のほぼ全部を読んだといいます。
しかし、この図書館に通い始めた時期について二つの説があるのをご存じでしょうか。