マンションとは言っても鉄筋だからその名がついているだけで、賽子のとは比べようがない程みすぼらしい築30年の3階建ての建物で、周囲の建物の陰にひっそりと佇み、壁のモルタルも最初は何色だったか分からないほどくすんでいた。3階の自宅に戻ると彼女は居間の畳の上に強張った体を投げ出した。
あと2週間、眼鏡を新調するまでは就活する気にもならない。それまで天井の染みを見つめながらこの部屋で独りぼんやりとした頭を抱えて空虚に過ごすのだろうか。それとも――。
彼女は一度は投げ出した国試の問題集を取り出し、テーブルの上に広げた。来年の国試を受けると決意したわけではなかったが、諦めると決心できたわけでもなかった。2週間だけ勉強したくらい何の意味もないことは分かっている。それでも彼女には今までの習慣からそれしかやることがなかった。
「関節リウマチの所見でないのはどれか。a.スワンネック変形、b.ボタン穴変形……」
最初は気乗りがしなくてもやり始めると意外と集中するものである。彼女が熱心に問題を解いていると、黒い毛むくじゃらの四つ足が本の上に乗って来て邪魔をする。猫というものは主人が集中している時に限ってこういう邪魔をしてくる。
「もうちょっとクロスケ、邪魔しないでよね」
麻利衣は猫をテーブルから下ろしたが、すぐにまた本の上に乗ってきた。
「もう! クロスケ……」
そこで麻利衣はある事実に気がつき、鳥肌が立った。
クロスケとは子供の頃実家で飼っていた雄猫の名前だった。子供の頃勉強をしているとすぐに本の上に乗って来て邪魔をしていたのでついそう呼んでしまったが、クロスケは10年前いつの間にか家出していなくなってしまった。それ以来麻利衣は猫を飼ったことがない。
「この猫どこから……」
「そいつはクロスケなどという野暮な名前ではない。ドクトルだ」
「うわああっ!」
次回更新は12月30日(火)、21時の予定です。
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