【前回の記事を読む】派手で無神経な彼女に「もう業界決めてるの?」と聞くと「銀行がいいかな」思わずむせそうになった

第一章

「野上。おーい、野上。の・が・み!!」

「え? あ、はい」

突然、大声で名前を呼ばれ、立ち上がる。

「なにをボーッとしているんだ。授業中だぞー。はい、次の問題、お前解いてみろ」

数学教師の柳原(やなぎはら)は、ニヤニヤしてこちらを見ている。意地悪な爺さんだ。

問題に取り掛かる。悩む。わからない。思考を放棄する。教室の外を眺める。ボーッとする。僕が陥ったこの一連の流れを、柳原はわかっているはずだ。それにも関わらず、ニヤニヤとこちらを見ている。

僕がチョークを持って黒板の前まで行って、わかりませんと言えば、クラスのみんなの前で赤っ恥をかくことになる。そうすると、クラスメイトは笑い、和やかな空気が生まれる。そして僕みたいな思いをしないようにと、クラスメイトは気を引き締めて授業を受ける。

柳原の話を聞いていなかった僕も悪いが、この仕打ちはやりすぎだろ。せめて、この爺さんの思い通りにならない切り返しはないか。

少し考えて、言ってやった。

「すみません。少し頭が重くて、ボーッとしてました」

「え?」

柳原はさっきまでの表情を一転させ、目を丸くする。

「大丈夫?」

「保健室行った方がいいんじゃね?」

教室のあちらこちらからざわめきが生まれる。

「俺、野上のこと連れて行きますよ」

隣の席に座っていた柔道部の高木(たかぎ)という男が立ち上がる。高校二年生にして、背が百九十近くもある色の黒い男だ。

「ああ! いいなー! 高木、絶対授業サボりたいからだろ」

「んなわけあるか! 俺の優しさだわ」

「あ、私も保健室一緒に行きたーい」

徐々にざわめきは、騒音となっていく。

「あ、おい。ちょっと静かに! わかった。高木、野上のこと連れて行ってやれ」

高木は「はーい」と間抜けな声を出すと、僕を立たせて肩を抱きながら教室を出ていく。

横目で柳原を見ると、申し訳ない気持ちをどこに向けたらいいかわからず、戸惑っているようだ。

気分の優れない生徒を叱責し、僕を保健室に連れていくついでに、授業を抜け出そうとする生徒がちらほら現れる。教室はまとまりをなくし、間接的にお前の授業はつまらないと言われているようなもの。柳原の戸惑う表情を見続けられないのが残念だが、これであいつの思い通りの流れは崩壊した。満足だ。ざまあみろと、心の中で呟く。