この学校には異なる年齢や事情を持った生徒たちが通っていた。成人した生徒たちもいたので喫煙室があった。

歴史の授業で先生が第二次世界大戦の話をした時、高齢のおじいちゃん生徒は戦争体験者だった。先生に「そんな甘くはなかった」と戦争体験談をし始めた。おじいちゃんの話の方が数段おもしろかった。

浮世絵の人間国宝と噂されていた生徒もいた。この高校は在日韓国の人たちが多く住んでいる大阪生野区の近くにあり、そのためチマチョゴリを着て登校する生徒たちもいた。

生徒たちがユニークすぎて私はいつも人間観察の方に気が散ってしまっていた。この学校のせいで、後に心理学に興味を持ったのかもしれない。

学校の課題やテストの点数は良かった。だが、正直に言うと私の学力は中学校レベルほどしかなかっただろう。高校三年間は暑い日も寒い日も母が送迎してくれていた。

高校時代、私はあさしお園というリハビリセンターに、膝と股関節の周りの筋肉収縮を“維持”させるために通っていた。変形した骨にはリハビリのしようがなかった。リハビリへは学校終わりにすぐに向かわなければ間に合わなかった。

ある日、リハビリに遅刻しそうだったので母が急いで運転してくれていたら、スピード違反で警察官に止められた。そして、チケットを切られた。

母のおかげでリハビリには奇跡的に間に合った。母、ありがとう。

あさしお園の園長は整形外科の医者でもあり、私を診てくれていた。先生は私の上肢と下肢の変形と関節の可動域の状態を診察し、身体障害者手帳一級を申請することを勧めて下さり、申請は受理された。

ここから私は、「若年性多関節リウマチ」の車いすのチャレンジドで身体障害者一級になった。症状に何ら変わりはないが、ただ私のタイトルが長くなった。

次回更新は12月23日(火)、18時の予定です。

 

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